「何も始まっても、起こってもいない」起点へ

事象を自我システムの外側へ配置する

街の雑踏が、様々な人々の物語を呑んでは
エネルギーの大河を創り、淡々と流れ去る様を
眺めていても、特に情動が動く事がないように
目の前の様々な「出来事」「事象」というのも
実際は何の凹凸もなく、何の差異もなく、
消音の映像のように、ただタイムラインに沿って
淡々と流れ行く創造物の一片のようなもの。

そこに「凹凸」「差異」を創っているのは、
個々の意識場の「自我システム」です。
例えば、消音で流していた映画の音声を、
元に戻して聴き流していると、段々ストーリーへ
引き込まれ「情動」が揺れ始めるように、

「ある事象の磁場」に自我システムのチャネルを
合わせる=ある事象をフォーカスして
「自我システムの振り分け」で認識すると、
「わたし物語」の体験者になるのです。

フォーカス世界の「内側」で選択決定する限り

「自我物語」の世界観に囚われ続けます。

凹凸の差異もない、淡々と流れゆく

無数のタイムラインの「外側」に立つ。

 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
「大都会の雑踏」をぼんやり眺めている時、
「わたし」という体験者の世界観では
何も起こっても、始まっていませんが、
「雑踏を行き交う御自我様達の観点」では
あらゆるドラマが展開されています。

つまり「事象の外側」に観点がある時、
世界は消失し、「事象の内側」に観点が
ある時、世界が出現するのです。
「ある世界」「ある体験」を創っているのは
意識のフォーカス=「自我の認識」です。

そして、その「フォーカス」のきっかけになるのが
自我システムの作動=無意識的反応です。
例えば「ふと、気になって隣を観る」とか、
「ふと、耳に会話が入ってくる」等々は、
意識場にセットされている「自我システム」の
振り分け機能の作動による反応です。

体験者「わたし」では感知出来ないレベルの
ありとあらゆる全振動を、意識は常にキャッチし
自我システム通り、二元構造に振り分けます。
そして好みのコントラスト物語に最適な事象が
数多の振動情報の中に存在している場合、

「ふと」「何となく」「急に」「何気なく」
等々のような「無意識的反応」を創造し、
体験者「わたし」を動かして、事象に出逢わせ
「肯定vs否定」のような「凹凸」と成り得る
「フォーカスの起点」に気づかせるのです。

「自我システム」は「二元のコントラスト体験」を
創造する為に設定されたシステムですから、
わたし達が必ず瞬きをしたり、物を食べれば
必ず消化が始まるように、「差異」や「凹凸」へ
必ず「無意識的な反応」をしてしまいます。

そういう「仕様・システム」ですから、そうした
反応が存在することは「当然」ですが、
「フォーカスのままに流れる」か、
「フォーカスを停止する」かは選択可能です。

フォーカスのままに流れれば「コントラスト」を、
フォーカスを停止すれば「何も始まっても、
起こってもいない」という、「事象の外側」に
観点を戻すことが可能で、この位置が
「観察者の観点」のポジションになります。

「フォーカスをする仕様」を解除する、即ち
「フォーカスを外す」には「共通事実の発見」が
必要になります。例えば、話をしている最中に
友人がスマホをチェックしながら頷く様を観て
「わたしの話、退屈なのかな」「会話中に
スマホいじるのって失礼だな」と思ったとすると、

「話しているのに、スマホをチェックする友人」に
フォーカスが入っています。そこにフォーカスを
置くのは「わたしの話をちゃんと聴け」という
御自我様の欲求に、沿わない行動を
しているからです。即ち、目の前の現実が、
「我の思い通りになっておらぬ!」という事に
強いフォーカスがある状態です。

こうなると、「スマホを鞄にしまって、楽し気に
わたしの話に相槌を打つ」状況になるまで、
気が済まない御自我ん坊将軍まっしぐらです。
悶々としたり、イライラしたりし始める
全く可愛いくないまっしぐらを止めるには、

「わたしが話をしているのに、スマホを見て
片手間に相槌を打つ友人」という観点から
「我軸」と「相手の領分」の観点を差し引いて
「協働創造に関する共通事実」を観ます。すると
「わたしが」=我軸、「スマホを見て」=領分外
「片手間に」=我軸な装飾、が抜け、
「話をするわたしと、相槌を打つ友人」となる。

「友人に話をしたいから、話をする」という
今この瞬間の希求の具現化にある時、
相手がそれをどんなスタイルで聴くかは、
無関係であり、領分外です。相手は相手の
希求の具現化に生きていて、「わたしと
同じようにわたしに重要性と特別性を感じて、
わたしが望むように振舞って」というのは、
「御自我ん坊将軍な最前線」状態です。

「わたし」という世界の中に事象を置かず、

事象の外側「起点」を置くようにするのです。

自我システムの中に事象を呑み込む限り、

「自我の大河の流れ」に生きる事になります。

「わたしの観点」「自我の装飾」「相手の領分」

これらを、徹底的に観点からデリートして、

協働創造における共通事実に軸を調えます。

「話をするわたしと、相槌を打つ友人」のように

シンプルになった時、「でも、聴いて欲しい」と

欲求が出てきて「相手へぶつけたくなる」なら

それが「未熟」=「課題」の表れです。

「希求」というのは「個」に対して存在し、

ゆえに見返りの上に成り立ちません。

「話したいから、話す」ように、「何も望まぬ」

「純然たる希求」を体現し具現化する時、

「聴きたいから、聴く」人が「聴き役」となる。

「聴きたいから、聴く」人がいない事と、

「話したいから、話す」ことは無関係です。

しかし「話したいから、聴いて」という欲になると

「聴き手の不在」は大問題になってしまう。

「聴いて貰う為にどうすればいいか」ではなく、

純然たる希求を、洗練した音へ昇華して

「話したいから、話す」へ到達しているのかを

自らへ問うのです。それを成した時、自然と

「聴きたいから、聴く」人が必ず現れます。

「純然」には「純然」が、「欲」には「欲」が還る

「循環」の法則に基づき 自らの創造を高めて―。
 

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