『鏡の法則』は 両側面の全てを反射する

反発と同情 否定と肯定 世界の全を観る

「わたし=肯定」の世界観と真逆を鏡する
「否定」との出逢いは、その反発的衝撃から
誰しもが自覚しやすいもの。観察の初歩は
「受け容れられない事」「嫌悪する事」等々
意識のフォーカスは「否定」を捉えやすい。

しかし、目の前の現実という世界全ては、
「自我の盲目の意識場」を鏡しています。
「わたし=肯定側」を鏡する世界も
「否定」と同じく「観察対象」です。

見逃している「肯定」側の「意識の在り方」

表側にこそ「盲目の核」が潜んでいる。

 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
意識場の盲目というのは、
「体験の為に、盲目にしていること」と、
「欲する為に、盲目にしていること」が
存在しています。

前者は、例えば「攻撃的な一面」とか、
「欲深い一面」などを持っていながらも、
「そう思われたくない」「そうあってはいけない」
と抑え込み、どんな事があっても感情を
押し殺して笑顔で接し、自己犠牲的に
他者に様々を譲る等々、

理想の「わたし」キャラクターを演じる為に、
理想に当て嵌らない自らの要素の全てを
「ないもの」として封印してしまう世界。
しかし、「ないもの」としているだけで、
実際の「自我の意識場」にはその要素が在る為

封印した「盲目」の一面達は、自分以外の
「鏡側」が反射する事になります。鏡に映るは
「わたしの隠した全て」でしかないのですが、
自我は鏡側の「他者達がそれを持っている」と
誤認して、他者を否定・非難・批判する、
という体験世界を創造します。
「我こそが、理想=正当」という幻想の世界。

この「封印した盲目の反射」は、周波数の
衝撃が強い為、「あ、盲目の鏡だ」と、
『鏡の法則』を認識しやすかったりします。

後者は「~してもらう・される」体験の為に
「盲目」にしているコントラストの世界。
例えば「優しくされたい」「認められたい」
という体験を「欲し求めている」と、
「優しくされたら、途端に機嫌がよくなる」
「認められたら、途端にやる気が出る」
みたいな世界を具現化しがちです。

その世界を協働創造してくれるような
「思うように、優しく接してくれる人」や、
「認めてくれる人」に出逢った時、御自我は
「思いやりがあって、褒め上手で、善い人」
みたいに他者を称賛=肯定したりします。

欲求が叶った「肯定的世界」の中で、
「良い気分」に浸っている時、御自我には
「全てが順調」でしかなく、「観察すべき
二元は存在しない」と捉えてしまう為、
投影場や創造構造の観察を怠りがちです。
しかし、「思い通りの世界」に在る時こそ、
「盲目の核」が潜んでいるものです。

優しさや承認を得ると、有頂天になったり、
急に世界観が変転するという事は、逆に、
「優しくされなければ、機嫌が悪い」し
「認められなければ、やる気がでない」という
二元構造に生きている事を示しています。

現在地は「わたしに機嫌をよくして欲しければ
優しくしろ」「わたしにやる気を出して
欲しければ、認めろ」という傲慢に位置する。
その観点は「こうして欲しくば、こうしろ」という
態度による支配構造が潜んでいる。

放った全てが巡り還る循環世界に置いて、
「思い通り・肯定」という御自我様が
「欲し求める世界」を具現化するには、
「欲するを、自らが創造しない・与えない」
必要があります。つまり「優しさ」「承認」が
巡り還る「果」がないという事は、自らが、
「優しさ」「承認」を放っていない証でもある。
 
「欲する為に、盲目にしていること」は、
「欲するが叶った世界を堪能している」ような
「肯定」側の幻想にある時こそ、
その盲目の構造が最も表層化しやすいのです。

つまり「意識場の観察」というのは、
わかりやすい「否定」と出逢っている時より
「自我にとって問題のない」ような、
「思い通りの世界」を体験している時、

即ち「肯定側の景色の二元構造の世界」を
堪能している時こそ、「幻想への陶酔」は
強化され「より盲目度が強く」成る為、
隅々まで丁寧に観る必要があるのです。

御自我様は「我軸」がとても強いので、

「好ましくない周波数帯域」を発生させる

出来事「のみ」、観察をしようとしがちです。

しかし「観察対象は全ての現実」です。

「肯定的で、全てが順調な世界」も、

盲目的「否定」と同様に、二元構造の

「否定・肯定」という「二つの世界」のうちの

「一つの世界」です。この出来事にだけ

二元構造という事はなく、意識場の設定は

一律に存在します。「肯定」も同じ二元の

創造構造の意識場から誕生した世界です。

もし、心地悪ければ観察し、心地良ければ

観察しない観点が在るならば、その観察は

二元構造の意識場からの解脱の為ではなく、

「思い通りに生きる欲望」の為に存在する。

二元構造の投影によるコントラスト幻想は

「一喜一憂」という言葉があるように、

心地悪い・心地良い、どちらの世界観も

存在します。一元の世界は、どちら側かのみ

得ようとする観点はなく、全ての景色が、

「循環」により豊かに巡るだけで、そもそも

「心地よい・悪い」のように、出来事自体を

振り分けるようなフォーカスが存在しない。

感覚はあっても、フォーカスがないのです。

逆に云えば、どんな出来事も同じ程度の

フォーカスが存在する為、段差がないのです。

なので「気分が良いから観察しなくてよい」

という観点はなく、どんな「現実」も一律に

「今この瞬間の意識場の盲目」を鏡する

投影場であり、観察は、現在地の確認や、

最善最良の「循環バランス」の調律及び、

行動グラウンディングの創造の為に在る。

もし「今日は観察する事がなかった」という
 
観点を使っているならば、「観察」に対する

「意識の在り方」が「御自我様が為」に

偏っている可能性が高いです。全ての現実

全ての思考、全ての感覚、全ての周波数、

全ての事実に、「一律の観察眼」で挑んで―。

 

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