「異なり・違い」と「否定・拒絶」を剥離して

「わたし流」を手離し 「豊かさ」を受容する

「認められること」への執着的な欲求は、
「自我の意識場」の永遠なるすれ違いが
見せている幻影のような世界観です。

自我世界においては筋道立っている、とても
「好ましい」部類の事も、他者の自我世界で

「好ましくない」部類に入る可能性がある事に
完全に盲目なのが自我意識「わたし」です。

なので「こうすればきっと、好意的に受け取って
貰えるだろう」と、「期待という名の幻想」を
一人膨らませて行動し「思い描いた反応」が
返ってこなかったり、真逆の反応だったりすると
「渾身のわたしの想いを拒絶・否定された」
という受け取り方をしてしまったりする。

「異なり・違い」を「前提」に世界を捉えます。

違いこそが「豊かさ」を生む世界に生きる。

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
「正しい」「間違っている」という言葉が
あります。間違っている自覚を持ちながら
敢えてその間違いを「それでもいいんだ」と、
具現化する世界もありますが、概ねの人は
「それが最善最良だ」と思って行い、後から
「そうじゃなかった」事を學び気づきます。

小さな子供が無邪気に何かをするように、
それを成している瞬間は、少なくとも
自我世界においては、純粋に「これでよし」と
意気揚々と行っているわけです。つまり、
「正誤」というのは、後付けに存在します。

例えば多くから「え~」というブーイングが
起こったり、「なんでそんな事をしたの?
もっと周りをよく見て」と指摘を受ける等々の、
「自我の想定外の果=期待外れ」を受けて、
「えっ…何がダメ?どこで間違った?」と、
そこではじめて行動を振り返ることになります。

二元構造はすぐに「肯定・否定」に出来事を
分類するので、「ダメ」「間違い」「失敗」という
言葉でレッテルを貼りますが、実際は、何かを
自らが行動した事によって、誰かにその件を
指摘して教えて貰ったり、現実の果となって
好ましくない想定外の状況が返ってくる事で、

はじめて真剣に自らの言動を観て察したり、
他者達の言葉や状況に真摯に耳を傾けて
「ああ…。全然、そんなこと思ってもなかった」
「ここが至らなかったなぁ。未熟だなぁ」等々
視野がぐんと一気に広がる協働創造であり、
「學び気づいて、未知の扉が開く」という
進化的で豊かな瞬間があるだけです。

「正しさも、間違いもない。だって、この世の
全ては幻想なんだ」という、真意を捉えぬ
言葉だけが、スピブームで横行してますが、
それは上記のように「全てはプロセス」であり、
學び気づいた後に、二元意識を使って
「間違っていた(否定)」「正しかった(肯定)」と
振り分けた「過去=幻想」に過ぎないのだ、
という事を指した言葉です。

体験している最中は「正しい」という側に、
体験した後は、なぜか「気づけた」喜びや
嬉しさや感謝ではなく、教えて頂いた時の
周波数的な体感ショックだけをフォーカスして
「否定された=好ましくない体験」にして、
「間違い」という側に入れるという二元遊びが
コントラスト幻想の世界観です。

二元に分類する限り「プロセス」という概念を
上手く使うことは不可能です。
自分が「否定・間違い」に分類したプロセスを
未だ体験していない他者達や、異なる観点の
自我物語を生きる他者達に、「間違いだ」と
指摘しても不適合になるのは当然です。

未だこれからそれを体験する観点や、
体験している最中にあっては、今の決定が
いつも「最善最良」に位置しているので
何を言っても上手く耳には入らないもの。
「反抗期」はまさに、こうした自我プロセスや
体験差異によって創造される世界といえます。

しかし自我意識は、自分の世界の「理」が
他者の世界にも通じると思っているので、
「これは好ましいことだ」「よかれ」と思って
どこまでも訴えてしまう傾向があります。

そして更に「よい事をしたのだから」と、
「聴いて当然だ」「感謝されて当然だ」等々
「見返りを期待する」為、他者がそれに対して
「余計なことをしないで」というような
期待外れな言動をすると、否定された、
拒絶された、と落胆したり怒ったりする。

これらの世界は全て「二元構造の意識場」が

創り出している世界です。「否定・肯定」や

「正・誤」「良い・悪い」のようなレッテルを貼り

世界を二つに分けるから、せっかく得た學びも

活かしにくい状況が続いてしまうのです。

「プロセス=進化へ必要な体験」だったと、

経たすべての体験を「一元」に戻して保管し、

「通過点」として配置する事が大切です。

そうすると「世界の異なり」「次元の違い」や

「理解できない事」への受容が可能になる。

「どういう意味なのかよくわからない」ことは、

「わからないが、言われた事を覚えておこう」と

「わかろうとしても、わからない」はそのままに、

ありのままの状態で、記憶データ群に置く。

「わかりたい」という希求を投じ、「わからない」

ままに置いておくと、「体験というギフト」が

現実として到来します。そしてそれを経た時、

「ああ、そういう事だったのか」と腑に落ちる。

「こうした方がいい」「そうしない方がいい」と

進言された時に、「わたしが懸命に考えた事」

「親切心からした事」等々を「否定された」

「拒絶された」と捉えると、必ず「それには

訳があって」という言い訳を展開してしまう。

そうではなく「あ、未体験なんだな」「だから、

まだその事の真意が解らないんだな」と、

「プロセス未満」のありのままを受けるのです。

そうすると、「そうなんですね、ありがとう」と、

「覚えておきます」と参考データとして、

有難く頂戴することが可能になるのです。

つまり「豊かさ」を創造する事が出来る。

一元は「豊かさ」が循環する世界です。

二元は「どれか一つだけ」を肯定する世界。
 
一つだから「わたし」を必死で肯定して
 
それ以外の理を必死で否定することになる。
 
そして「辛苦」を自らで量産しているのです。

わたし達は「無限」なるスピリットですから、

本来、一元の律が肌にあうのは当然の理です。

全てを在るがままに配置する、霊性進化を

プロセスの循環という一元で捉えてみて―。

 

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