「保身」は「わたし」という幻想への執着

全てのデータを放棄して 新しい一歩を行く

自我システムの制御機能の働きで、
「自我を最後尾に下げる」具現化は
二元構造の意識場で最も手強い創造です。
なぜなら「下げる=わたしを否定する」という
世界に囚われてしまうからです。

世界が自動的に「2つ」誕生する二元意識は
「対立構造」がスタンダードです。そうならない
ケースは「わたし側」に位置するデータ群のみ。
つまり自我システムの設定で「肯定側」にある
世界であれば「心地よく」協働共存が出来る。

自我システムを超えていくには、
「下げる≠わたしを否定する」となる、
「新しい概念システムの型」を創造し、
その意を軸に行動グラウンディングをします。

宇宙構造の基本「鏡の法則」を使います。

「わたしの全ては、目の前に映し出される全て」

わたしの場所を「現実側」に配置すること。

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~★ありえないを超えてゆく★~
 

肉体側に「わたし」の所在地を置いていると
必ず「わたしの思考・意見・主張・想い」が
出張ってきます。肉体は「データ容器」です。
「わたしと思っている意識データ」というのは、

「集合的意識場」からダウンロードした
「自我システムの設定に一致するデータ群」で、
「すぐ使う一時保存フォルダ」に格納されており

「現実の状況に応じて」システムに合うデータを
適宜インストールして使っているだけで、

ただの「設定データ」に過ぎません。

「わたしの想い」が「わたしから」湧き上がり
「わたしという人物」が創り出しているのだと
「体験者」自身は体感と共に確信しますが、
それはAIが「わたしは人間だ」と思いこんでいる
状態のようなもの。開発者側=創造者側は
「全部設定で動いている」事を知っています。

観点を創造者側に設定し直していきます。

創造者側は「こうなった時、こういう反応をし
こういう思考をして、こう感じるようにしよう」と
「意識場の認識構造の型」を設定して、
「じゃあ、ちょっと体験者、試運転してみて」と、
設定された体験者を「現実」世界に放ちます。

これが「わたし」という存在です。

そして「体験を経て行く様」を観察者が捉え、
その報告データを受けた創造者は、
「ありゃ。まだ若干、同じルートを繰り返すか。
これだと霊性レベルが上手く上がらないから、
旧システム(自我システム)は解除されないね」
と、また修正を施していきます。

「わたし」に客観的な観点を創る意で
「霊性進化ゲーム」のように捉えてみるのです。
「わたし」というキャラクター(体験者)が、
「霊性レベル」を上げていくと、装備(豊かさ)が
どんどん向上したり、ステージ(現実世界)が
どんどん拡大していくようなイメージです。

「体験者・観察者・創造者」の一人三役を
担う「意識体」として動くイメージですが、
ここで大切なことは、「体験者」の配置で、
そのデータ世界にどっぷり浸からないことです。

物質界はデータが体感や物体となって

リアルに具現化されるので要注意です。

「体験者モード」がカチッとセットされるのは、
インストールデータに「100」浸かる時です。
例えば「怒り心頭100」になったら、もう
「体験者モード」のスイッチが入ります。
こうなると、自我暴走は止まりません。

なので、そのスイッチを入れない為には
「体験者」を乗り物のようにイメージします。
「行先不明の電車・車」に乗っているイメージで
「体験者席」に着席します。
そして「体験者が出逢う現実全て」は
「車窓から観る景色だ」と認識するのです。

「おー。なんかすごい喚いている人がいるぞ」
「わぁ。めっちゃ窓ガンガン叩いてくる」
「お、車掌が水ぶっかけてきたね。」
「うわー、なんか激しい小競り合い始まったな」
「おっと、急ブレーキ。緊急停止だよこりゃ」
みたいに、「観る」という訓練をします。

反応するのではなく「観るのみ」に集中する。
「観察者」を起動するトレーニングですね。

そして「車窓から観える全ては、わたし自身、
わたしの盲目の意識場を映す鏡だ」という
概念を付け足します。「わたしって、こんな
世界観を体現して生きているんだねぇ。
これが、わたしの歪んでいる箇所なんだね」と
「エラー箇所・修正ポイントのお知らせ」
=「現実の到来」の観点を使っていきます。

段々「何の反応せず観る」鍛錬が進んでいくと
事象に対しシステム通り反応する「体験者」が

「わたしは、そうは思いませんけどね」等々
即座に反応して話し出そうとする予兆、

「有」となる手前の「ゼロの可能性」を
「目撃する」という認識点が登場します。

「おーっと、危ない出張りそうだぞ」とか
「ありえない保身の思考。自分イメージ死守」
「わたし優秀ですけど?モード突入間近」
みたいに「まさに動こうとする体験者」と
「観察者意識が同時に走る」という
二層構造な体験を経るようになります。

この頃には「感情モード」の接続スイッチが
オフになってくるので、体験者のギラギラ感は

消失し冷静沈着さと、丁寧さが増してきます。
ここまで到達すると「自我の出張り」を

停止する具現化は間近です。

「自我を最後尾に下げる」のは、
目の前の「現実」をそのように創った「わたし」

の歪みを調えるプロセスとしてあります。

例えもし「初耳ですけど?」という事を、
「やってくれなかったんですか?」と云われても

これまでの体験者モードのように

「〇〇するようにとは聞いていましたが、

それについて指示は頂いてませんが」と、

「正当性」の出張りで攻撃するのではなく、


「ああ、自我モードの自己都合解釈で
聴きたいように捉え間違えたんだな」と気づき
「すみません。聞き漏れてました」と、下がる。

「全ての席が埋まるように集客するのも、
君の仕事の範疇じゃないのかね」と云われ、
「企画自体に問題があるのでは?わたしは
一広報人ですしね。やる事やってますしね。
それで集まらないなら、内容でしょうよ。
こんだけやって無理ならもう無理ですよ。

何でもかんでも人のせいにしないで下さい」と、
御自我様システムが反撃モードになっても、

「ああ、今の自分のままで負荷なく出来る

いつも通りの楽なやり方でしようとする
怠惰意識の巡り還りだね。プロ意識の欠如。

自分のやり方を押し通した結果が

到来してるだけ。企画内容は無関係。

広報という役割に徹していない」と気づき、
「仰るとおり、わたしの力量不足です。
この度は申し訳ございません。」と、下がる。

自我システムは「現実の歪み=わたしの歪み」
という設定は無く「わたしがいつも正しい」を
「保持する事に徹した」設定になっています。
その「根拠なきわたし設定=幻想」を、
マルっと還し「こんな風に歪んでますよ」と
具現化して観せてくれるのが「現実」です。

ただ知らせてくれている鏡を、「わたし」を
「否定する・破壊する存在」だと攻撃するは

自分自身への否定と破壊の創造ですから、

「より現実の循環が鈍る」のは当然です。
「わたし」は設定システムなわけですから
「もっと使い勝手がよく、楽なわたし」を
設定することだって出来るのです。

二元構造のコントラスト世界は
対立構造ばかりで循環がなく、ゆえに
豊かさや満ちる事とも縁遠い世界観です。
自我の意識場の創造構造、そして
「わたし」モードの設定を変更すれば、
もっと心地よく楽で軽やかな世界を創れます。

決して「損」な事をしているわけではなく、

「得」へ向かって「最後尾に下げる」がある。

「わたし」を出張らせるは「損」の創造です。

誤解をされても、間違われても、否定されても

「ああ、そういう捉え間違いを、わたしは

平気で他者に対してしているって事だね」と、

「そうして、とんでもない勘違いをしたまま、

他者へ放った分が今、巡り還ったんだね。

今、それをゼロにするチャンスが到来している。

だから、黙って受容しよう」と、下がる。

「主張しなければならないシーン」や

「説明しなければならないシーン」や

「解ってもらわねばならないシーン」ばかりが

到来するならば、それだけ「他者の言い分」を

「自我都合で、全く傾聴してこなかった」だけ。

 

それだけ「自分を押し通してきた」という事。

そこに「また出張りを重ねる」ならば、

歪みを加速する行動グラウンディングになる。

いつまでも「わたし保身」に執着し続け、

「眠りの創造を、毎瞬重ねている自分」から

目を逸らしているなら、自然淘汰に突入です。

「次こそは」ではなく「今この瞬間しかない」。

 

「また、出来なかった」は幻想の台詞。

 

毎瞬「今、それを成さねば次はない」のです。

 

どれだけの「絶好のチャンス」を失い続ければ

 

気づくのでしょうか。失ってやっとでしょうか。

 

そこまで「自我の出張り」を許すのであれば、

 

「自然淘汰」が創造主の決定なのでしょう。

 

そうじゃないならば、行動グラウンディングで

 

「在り様・状態・言動・波動」全てを

 

「希求する世界の振動と一致」する方向へ

 

創造主として「決定」の舵をとる時です。

 

二度とない「今この瞬間」を毎瞬生ききるのです。

前にも後ろにも道はない「今この瞬間」にのみ

生きる決定の具現化へ 「早急に」挑んで―。
 

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