現実という鏡に 反射する音を聴き

「ゼロ」の調和が鳴る 真正面に立つ

「ある事象」と遭遇した時に、
自らに何らかの体感が生じた時は
「認識の現在地」と「現実の現在地」が
ズレている事へのサインです。

「認識の現在地」というのは、
意識界の「意識場の設計図」です。
厳密さを緩めて広域的にフワッと表現すると、
「頭の中で描いているイメージ」のようなもの。

「現実の現在地」というのは
「意識場の設計図」を基に3次元で
実際に具現化した「リアル」のこと。
緩く表現すると「イメージを形にした」世界。

「認識の現在地」が「現実の現在地」と
「ズレている」という状態は、例えば
「イメージしたペンギン」を描いて「絵」という
「形」へ具現化して人に見せたら
「へぇ。…黒い指サック?」と言われたり、

あるドレスを見て「可愛い!」と思って
試着すると「あれ?何か等身がおかしい…」
みたいな世界を体験するイメージ。
「意識場の設計図が描いた果」と
「具現化した果」が不一致な状態です。

「意識の設計図通りになるんじゃないの?
だって、具現化の設計図なんでしょ?」
と自我は思いますが、それはその通りです。
実は「意識の設計図通りにズレた」のです。

こうした「ズレ」を生じさせている因は
「自我の意識場」の「わたし」設定が
「絶対に位置している」事にあります。
簡単に云えば「わたし万能設定」がある。

ベースが「Perfect Me」ですから
「絵も描ける」し「ドレスも似合う」し、
それのみならず全てが「世界で一番」だし、
ゆえに何事も「正しくて万能説」という設定を
設計図の基盤に組み込んでいるのです。

この「自我の意識場をベース」とした設計図を
使っている事で「リアルとの差異」が生じ

「誤認識」を埋める「幻想体験」や
「思い通りにならない」を具現化しています。

「自我の意識場」を基盤とした設計を解除し

「真なる認識=リアルなわたし」を基盤とする

「意識の設計」へ変更するプロセスが

「鏡の法則」を使って行う「現実という鏡」の

「観察」と「行動グラウンディング」です。
 

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例えば「これ、また頼めるかな?この部分を
今回はこんな風にして欲しいんだけど」と、
家族にある事を依頼されたとします。

「うん、いいよ」と引き受けたものの、家事や
突発的な用事など、様々な事に追われて、
後回しになりつつも、何とか仕上げて渡すと、

「ありがとう。…あれ?さっき、この部分を
こうしてねってお願いしたんだけど…」と云われ
「えっ。そうだっけ?!ごめん!」と慌てつつ、
「ごめん、でも直す時間がないから、今日は
悪いけどそれでいってくれる?」と言うと、

「えー…。」と不満そうな顔をされカチンときて
「だったら自分でやればよかったんじゃない?
人がバタバタしてる横で、動画見て笑って
ダラダラ過ごしてる時間があったんだからさ」と
「察しろ、そして労え、そして手伝え」という
エネルギーを思い切りぶちまけて爆発し、

「はぁ?頼んだ事を引き受けたのは、あなた
だよね?何をして待っていようが自由でしょ」
と、売り言葉に買い言葉になったとします。

こうした「自我の意識場」のすれ違いは、
「現実の現在地」つまり、
「一つの事象」=「果」=「現実という鏡」に
投影している「自我の意識場の認識」が
「ズレている」事で生じている世界です。

実際のリアルでは「以前と同じやり方で
仕上がった依頼物」が在るだけですが、
その「果=現実」という鏡に、各々別々の
「自我の意識場で描く世界」を投影して、
それを「正義」として対立している状態。

しかしこの「1つの果=現実」という鏡を前に
二人は「同じ世界を見ている」と思っています。

それは「自我の意識場の絶対性」が、
「わたしが見て感じる全てが世界である」
という自我特有の「わたし絶対君主」な
「Perfect Me」システムのせいです。

「対立的な世界観」とか「喜怒哀楽」など
いずれかの周波数帯域が炙り出た時は、
「Perfect Me」システム稼働中と認識し、
すぐに周波数モードを解除し「観察者」の
観点へ立つようにします。

依頼者側は「依頼した→受領された」ので
自分は「出来上がるのを待つのみ」という
観点を取っています。それは「頼んだ事を
引き受けたのは、あなただ」という発言から
観てとれます。「相手が依頼を受領した」
=「それを行う事が十分に可能」と観ている。

依頼された側は「依頼された→受領した」
事実までは同じですが、その作業を
「既にあるスケジュールの中に組み込んだ」
という背景の中に在ります。
「何とかすれば可能」という観点です。
それは「ごめん、直す時間がない云々」
という発言から観てとれます。

最初の時点で「認識のズレ」が出ています。

しかしこの「ズレ」は互いには認識できません。
なぜならば「自我の意識場の位置」は
本人しかわからないからです。
お互いが「自分の認識が正しい」という
「Perfect Me」自我システムの中にいます。

依頼された側は「だったら自分でやれば云々
ダラダラ過ごしてる時間があったんだからさ」
という発言をしている事から、自分が
「どんな状況で引き受けたかを、
観て察するだろう」と思っていますが、

依頼者側は「後は待つだけ」の観点なので、
例えばレストランでオーダーをした料理が
出来上がってくるのを待つ感覚です。

ランチタイムで忙しい厨房を見ながら、
「時間がかかるのは仕方ないね」と、
スマホでメッセージや動画をチェックしつつ
待っていたというようなイメージ。

そして、出てきた品が「オーダーと違う」と
伝えると「忙しいから今日はこれ食べて」と
言われたので落胆すると、ブチ切れられた、
という状況になります。

例えてみると、こんな対応のレストランは
「絶対行きたくないな」と思うはず。

通常、もし間違えたら「申し訳ありません」と
「すぐに作り直しますが、お時間の方は
大丈夫でしょうか?」と尋ねてくれたり、
「今日はこれ頂きます」と快く引き受けると
無料でサービスしてくれたり等々、
少なくともブチ切れられるケースは無いはず。

日常的に察しの良い方々は相手の状況を配慮して
「これでいいです」と引くのが「普通」だと
「正当性は我にあり」と感じるものですが、
その決定はあくまで「わたしの決定」です。

レストランが「提供可能人数」を超えた時、
お越しになったお客様に「察して帰れよ」
とは決して言わないはず。わざわざ遠くから
足を運んで下さったお客様に「ご提供が
出来ない心苦しさ」を感じても、それを超えて
「本日終了の旨」をお伝えします。

「出来る」「いいよ」と簡単に依頼を受けて
予想以上にキャパオーバーだった時に、
心苦しさを超えて「ありのままを伝える」
「自発的動」を創造しただろうか?と、
自らへ問い返すと、「察してもらう」という
「依存」しかなかった事が観えてきます。

レストランのオーダーで例えて捉えてみると
「こんなに忙しい中でも、あなたの依頼を
快く引き受けて、一人懸命に頑張っている
健気で直向きなわたし」という自我陶酔とは
「全く別の観点」が観えてくるはず。

「被害者意識」を徹底的に手離す事です。

自我の意識場の「Perfect Me」システムは

「わたしが正当」なので、基本的に立ち位置は

「被害者」になります。この観点が据わる限り

「コントラスト幻想」は生涯つき纏います。

自分の体験している世界は「わたし」しか

知り得ない世界であると認識し、現実という

「果」に軸を合わせてバランスを調えます。

「引き受けた依頼を、ミスして相手が落胆した」

という事へのみ真っすぐに動いていきます。

「安請け合いをした、わたしの落ち度」を認め、

「期待して待っていた相手の時間」を十分慮り

「長い間お待たせしたのに、ごめんなさい」と

「察しろ」と言う前に「相手を察する」自分へ

行動グラウンディングしていきます。

「鏡に想うこと」は全て「我が身」に返します。

自我の幻想世界を守らず、逆ギレせず

「あ~…やっちゃったなぁ…」と傷みを痛むままに

出来なかった事を、出来なかったままに、

全てをそのままマルっと受け入れた時、やっと

「リスタート」へ向かう事が出来るのです。

すると次回、忙しい時に急な依頼があって

キャパオーバーになりそうだなという時、

「明日中でもいいかな?それとも、もし、

この部分をこう協力して貰えたら、今日中に

仕上げることが出来るよ」等々を「自発的に」

提案しよう等々を「決定するフォーカス」により

意識場に新しい設定が入っていきます。

「なぜ、わたしばかりが調えるの?」と

損得勘定が得意な自我は宣いますが、

「鏡の法則」だからですよ、と先導します。

「自分を調える」事だけに専念していれば、

それを映す「鏡=現実側」は自動的に

「調う」ということです。まさにそれは体験すると

「ミラクル」だと思うはず。3次元で日常的に

「中身の魂が変わった?」「世界が変わった?」
 
と思うような瞬間に出逢う事が日常茶飯事に

なっていくのが「覚醒」の面白いところです。

その奇跡は全て、奇跡でも何でもなく、

自分が変わった事で、鏡が映す世界が変わった、

それだけの単純な法則の具現化にすぎない。

まぁ、あまりにもそれが普通になりすぎて、

「慣れた結果」ミラクル感は消滅するのですが。

全ては「創造主」からはじまっていきます。

外に期待する全てを「わたしが する」ように

シンプルに純粋に ストレートに素直に 生きて―。
 

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