「 連 」の上に「今この瞬間」を観る

全てなる「 鎖 」を断つ はじまりの時

幼少期の「記憶」で一番古いものは
0歳の頃にベビーカーから観ていた景色です。
その頃の記憶イメージを言葉で表現すると
存在場の渦巻く「主張的な音の喧騒」が
「実にうるさい」という感覚と、

人間に対しては、人柄としてどんなに
明るく優しい人であっても「ちぐはぐ」
「苦しみ」「悲哀」のような重たさが
漂っていた感覚があります。

誕生して数か月は当然言葉も知らず

意思疎通という「交流」の循環を
エネルギー直結の振動で感知します。

つまり自分以外の「存在」と同調し
相手の「波動」で世界を知ろうとします。
なので、上記のような重たさに同調するたび
物悲しく胸が詰まり、息がしづらくなり
明らかに「毒気」のような、むせる感じを
今も明確に覚えています。

なので、幼少期のわたしは深夜に
しょっちゅう高熱を出しては、救急車で
運ばれていたと母から聞いています。
それだけ重苦しい周波数帯域というのは
肉体の健全性においても負荷があるのです。

因みに幼少期の「人見知り」というのは、
「新しい存在」の振動数の変化を
敏感に察知し、何らかの周波数的な
心地悪さから起こっている事が殆どです。

凄まじい瘴気が裏に漂う世界を感じ
「これを断ち切らねば」と思ったのは、
言葉を使うようになった小学生の頃。
「わたしの代でこれを断つのだ」と、
これは明らかな決定だと強く感じたのです。

その時視えた景色は「業」のような「連」。

「過去・現在・未来」と連鎖が創っている

強固な印を解いて、全てを在るがままの

循環へ流す「解放」。それをわたし達は決定し

どの「連の鎖」を断つかを決めた家に降り、

全ての背景に「宿る命」を一身に受け、

そこに在る全てと共に解脱を決めている。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~

 
春分のエネルギーの漂う前後3日は
ちょうど「お彼岸」と言われる時期と
重なっています。彼岸入りの18日から
彼岸明けは明日24日となります。

厳密に表現すると「7日で一段」に
なっている「7日プロセスの行」が
春分や秋分という律になります。

これまで「春分」「秋分」という
中日点に主なフォーカスを置く事が
多かったのですが、今年は
「連で捉えよ」というイメージが
濃厚に降りてきています。

「前(まえ)3日中日で転じて後(あと)3日」
陰陽の流(龍)を描くような音で
循環に乗りましょう、というイメージ。

そんな時に、置いてあった記憶がふわり
舞い降りるように届いたのが冒頭の件。

「わたしの代で断つ決定」を感じつつ、
一方で「この世界の業とは一体なんだ」
という問いをずっと持っていた子供の頃。

それに腑に落ちる解を観い出せないままに
20代後半になり、週末の度にある御山に
出向いていた時、毎日登拝されている
日蓮宗のお坊様と顔見知りになり、
時折お話をするようになったのです。

といっても、わたしが登山していると
お坊様は下山しているとか、わたしが登山か
下山していると、猛スピードで追い越される、
みたいな「すれ違う」程度の短時間で、

時折、挨拶だけではなく、急ブレーキを
懸けたみたいにはたと足を止め、
「どこそこに、〇〇というお店があるのですが、
そこの□□はとても美味しいんですよね」
みたいな事を「トトトトトト」みたいな音で
お話しになられ「へぇ。そうなんですか」と、
返している間に、もう走り去るイメージで

消えて行きながら「よかったら、ぜひー!」と
叫んでいるみたいな珍妙な会話です。
「必要最低限」に絞られたどこか
業務連絡のような感覚が漂います。

実際は業務ではないので聞き流せますが
しかし、そう云われたら気になるもので、
帰りについ寄ってしまうのです。すると毎回、
なんだかとても元気になるので、勝手に
「お坊ミシュラン」と命名していた件を
時効的な感覚をもって、ここに告白します。
(その節は誠にお世話になりました。感謝)

そうした事が長く続いたある時、
「あなたはご先祖供養についてどうお考えか」
という難しいお題を投下されたのです。
咄嗟に思ったのは「いや、普段は全然
考えておりません」という正直な音で、

次に思ったのは「ご先祖様に守って貰いたい
など我欲ベースや、こうするものだからする
みたいな儀式的な形だけのご供養の在り方には
疑問を持っていますが、こんな事をお寺の
お坊様に言うとやっぱり叱られますよね?」
という、これまた正直な音です。
(あ、あと「今日もお坊ミシュランがよかったのに」
とも思いました懺悔)


「うーん…」と自我が表現を逡巡していると、
「いえ、いいんです。そうじゃないんです」と、
観据えたようにお応えになり、
「わたしも、あなたの答えは知らないのです。
わたしは云わされているだけですから。けれど
きっとあなたにとって必要な問いなのでしょう」

その音がストンと腑に落ちたので、
「わかりました。確かに覚えておきます。
ありがとうございます。」とお受け取りすると、
暫くしてそのご縁は途絶えたのです。

今思えばよくもまぁ「確かに覚えておく」
など云ったもんだと、関西風に云えば、
「この、ええ格好しぃが(外面・見栄)」
と思いますが、見事になしのつぶて的に
受け取りっ放し、暫く忘却の彼方でして。

観察的に云えば、当時は「問いの意」が
「わからなかった」ので、わからないままに
認識だけして循環に「流した」のですが、
つい昨今、その記憶がふと蘇ったのです。

きっかけは、ある道における「極み」に立つ
尊敬する御方と春分数週間前に
お話をしていた折、ふと彼岸のお話になり
「ご先祖供養は自分の供養になりますよ」
という言葉をお伝え下さった事にあります。

その時に「お坊ミシュラン」の記憶と、
「わたしの代で断ち切る」という記憶、
「ご先祖、自分」というメッセージが繋がり、
「ああ、もう解には到達していたんだ」
という事にハッと気づいたのです。そして、
その解を使っていく時が来ている事も。

わたし達スピリットは様々な肉体へと、
時空を超えて幾度も出入りしながら
「生命エネルギーの体験」を重ね、
物質界と協働共存の循環を繋ぎ、
共に霊性進化を成してく存在です。

「意識界+物質界=人間界」というのは
「魂+肉体=わたし」と同じであり、
「意識界と物質界に在る全て」は
「自分自身」であると云えるのです。
ゆえに「鏡の法則」が成立する。

「魂のカルマ(循環の理)」があるように
物質界にも「肉体(家)のカルマ」があります。
「物質界(肉体)の御先祖様方」とは
「意識界(魂)の前世達」と同じ意を持つ。

魂の「前世の行い」というものばかりが
スピリチュアル業界では注目されがちですが
「宿命」という「命が宿る肉体の業」は
「魂の業」と共振共鳴するような
「霊性進化的學びのご縁」で決定します。

「宿命的決定」をいかように「運び」
新しき展開の「命とするか」という運命を
描き生きるのがわたし達人間です。

「わたしの代で断ち切る」とは
「人間」として生まれた以上、
「意識界+物質界」どちらにも深く関わり
さまざまな課題残し(想い残し)を
置いてきたことに由縁した音です。

「 わたしが、わたしの成してきた全てを
   宇宙摂理の循環の理へ還す決意 」
それが「断ち切る」の意。

今この瞬間へ繋がる全ての「設計図」を
「一新=意識次元の上昇」することで、
「新しい進化的創造」に基づく世界を成すと、
わたし達は自分に約束し、この地に
幾度も繰り返し降りてきているのです。

その事に「気づき至る意」を基盤として
出逢う全て、到来する全ての現実は、
自らの「一片の養分」となるような學びを
与えてくれる動エネルギーの循環と解し、

「重苦しい周波数帯域」の自我の箱から
解脱し、自らを安らかへ導いていきます。

「連なり」の循環背景の理を全て返し
陰陽の流(龍)の律に乗りながら全てが
自らの生命エネルギーへ還るような
「動エネルギー」を放つ創造は、
「時空を超え彼方在るスピリット達へ届く」
永遠の音と鳴り、高く振るい響くのです。

「供養」とは全てなる宇宙に届く 循環の音。

― 春分の日。恒例の聖地巡礼。

今回の春分は「一つの括り」のタイミングであり
セッションやWSや聖地巡礼等々
様々に長らく関わり続けて下さり、

いかなる現実の學びをも超え
真摯にコツコツと個々の霊性進化を
追求されておられる東西様々な
地域にお住まいの10名の皆様と
ご一緒する機会に恵まれた日。

ご縁を頂いた皆様との協働創造により、
様々な「気づきの音」が具現化する体験を
させて頂くという感謝に溢れる一日と。
そのほんの一部を言の葉の音に刻みます。

現実の到来とは、必然であるがゆえに
突発的に何気なくふらりやって来るもの。

当日、スケジュールが押してきた夕刻前、
少し急ぎ足でお立ち寄りした或る巡礼地は
長い時代を超えてきた国の宝としても
由緒がある大きな寺社。

お堂の外からお詣りをしていると、
人の気配を感じ顔を上げます。
すると中を片付けておられた僧侶の方と
カツンと目が合い、会釈をすると

「どうぞ!中に入って下さい。どうぞどーぞ、
  ご遠慮なく!せっかくですから、お経でも」
というお声をかけて下さり、面食らいつつ一瞬、
この後のスケジュールの事が脳裏によぎり
「えっ…と…」と言っているうちに、

僧侶の方は手際よくあっという間に
ご本尊様の蝋燭にどんどん火を灯して下さり、
「お彼岸の中日、この大切な時に
お越し下さったのですから、お経でも。
わたしでよろしければ、ぜひ皆様に
お経をあげさせて下さい、ぜひ」

そう仰って下さった音の澄んだ響きに
共鳴するように魂が一気にさざめき振るい、
スピリットが先に何かを得心します。

その振動のサインに圧されるように
「では、お言葉に甘えて」と、瞬間的に
スケジュールの件は全てゼロに流し
「未知」に身を置く事を決定します。

ご一緒して下さっている皆様も、
日々學びを深めていらっしゃる方々です。
各々において理を解し、一同心中にて
「お呼び頂きありがとうございます」と
意を一つにしつつ、この未知が進む展開を
若干楽しんでおられるご様子。

自我の拘る計画を超えてくる様々な
現実という「予期せぬ到来」を楽しめると、
學びは数倍楽しくなるものです。

僧侶の方は、まるでスケジュールの事は
知っていますよと云わんばかりに、まず
この後の予定を最初に尋ねられたので、
「どこそこに行き、何時までにどこそこへ行く
予定(未定)です(でした)」とお伝えすると、

「わかりました、では10分で終わらせます!」
と仰り、さっと座を正し、浪々とした音で
立派なお経をあげて下さったのです。
その唄のような律が、乾いたスポンジが
水を吸うように魂の真へ響くのです。

座が終わると、わたし達の方へ向き直り
「皆さんを見て、わたし驚いたんです」
とお話を下さいます。「驚いた?」と誰しもが
少しキョトンとした様子でしたが、
その言霊は喜びの振動数の音が響き、
嬉しさをお伝え下さっている事が解ります。

「皆様をみて、わたし本当に驚いたのです。
皆様にお経をどうしてもあげたかった。
よきお参りです。翳りが一つもないんです。
その方向性であってますから。どうかね、
どうか、そのままに進んでいって下さい」

と仰り、その事を色々な角度から何度も
繰り返し伝えて下さいます。しまい目には
「二元構造ですから。この世の中の
二元構造から出ていくんです」という、

皆様にはお馴染みの言葉を使って
力説して下さる頃には、一同、
たまらず笑い出してしまいます。
そして僧侶の方も一緒に笑い、お堂は
笑いのエネルギーで満ちていきます。

そうです。「鏡の法則」に気づいたわけです。
「真意はブログやWSで聴く事と同じ」
「まんまガイドって思った」「二元構造が
出てきた時には、もはやお見事と思った」
等々、後から個々口々に感想を述べます。

それはしかし「スピリットの音」なのです。

「真(まこと)の理」とは、いかなる道からも
一つの「大いなる意識」へ繋がっています。
ブログもセッションもWSも全て、
わたし個人の音などは何一つ微塵もなく、
この役は単なる「通訳」に過ぎません。
わたしは末席で學ばせて頂く身の上です。

全ては「その循環=宇宙摂理」の音であり、
「空(くう)の間のゼロ」に在ると「誰しも」
スピリットの律が自然に入ってきます。

その場にいらっしゃる「皆様の魂の音」を
鏡して下さった慈愛あるエネルギーの流れが
言の葉を遥か超えて、言霊の音となり
疲労困憊の時に頂くスイーツのように
笑いの煌めきとなって浸透していく様、

一同の表情が華やぎこぼれる笑みの
輝きに満ちた2023年の春分のワンシーンは、
とても美しい光景として濃く刻音されています。
そしてきっと生涯を通し、この記憶の音は
強くわたしの支えとなる事を確信している。

一介の通訳の身でありながら、
皆様の内的な進化の音が現実へ鏡され
具現化する様を見せて頂けた体験は、
何よりの幸せであり感謝しかありません。

「また、ぜひ皆様にお会いしたいです。
今度はもっとゆっくりとご供養したい。
皆様の、御一人御一人のご先祖様も
きちんとご供養をさせて頂きたいので、
ぜひまた来て下さい」と仰って下さり、

わざわざ走ってまで取りに行って
渡して下さった名刺には、ご住職との肩書き。
この古来の貴重な国の宝を管理されておられる
責任者の方だったのかと驚いていると、

気さくな笑顔を向けて
「今度はここに連絡してゆっくり来て下さい。
機会があれば。ぜひお待ちしています。」
と、仰る。そして計っていたかのように、

「〇〇へは10分でいって、□□には
20分で行けますから。まっすぐいって
すぐに戻ってくればいい」と、時計すら
見ていなかったわたし達に告げて、
さぁさぁと行く事を促します。

すっかりもうゼロにしていた予定ですが、
「ハイ」と、現実の到来を素直に受け、
一同、再び詣でる意を一つにしながら
ご住職に御礼を申し上げお堂を後にします。

云われたスケジュールは、かなりタイトな
時間設定でしたが、実際全員ハードさに
ゼェハァと息が上がっていましたが、
ピッタリその時間どおりに事が進み終えます。

「そういうことですよね」と頷く。
「手放せば、全てが一巡し戻ってくる」
そんな具現化も体験させて頂く。
色んな「復習的な學び」多き今年の春分。

「わたしの代で断ち切る」という魂の決意は、

小さき頃は、もっと厳しく、苦しい音のように

聴こえていたものです。なぜならば「自分以外の

何かを背負っている」と思っていたからです。

無関係なのに、という被害者意識。

「誰かのせい」「何かのせい」を持っている限り、

決して「循環」を創造する事は出来ません。

「連鎖」を創っている「鎖の結び」の全ては

わたし達が霊性進化の中で自我が創ってきた

ある物語の執着的な想いのエネルギー世界であり、

それを解けるのはわたし達しかないのです。

今この瞬間も、彼岸の音は続いています。

儀式的な「形式の具現化」ではなく、

「今世」という観点、「自分」という観点から

「連」という観点がとれる位置まで俯瞰して

「物質界と意識界」の単位で捉えてみるのです。

そして「循環」の観点から、わたしがわたしを

「癒すように」自我の意識場の檻から解き放つ

「自ずから立つ」を具現化する覚悟を立ててみる。

お墓参りや法要が大切なのではなく、その現実に

「わたしという世界の何を映すか」が大切です。

彼岸が伝える「今この瞬間へ連なる」世界は

「わたし」の意の決定と行動グラウンディングで

いかようにも変転させていく事が可能です。

「瞬間」を鎖のように繋ぐことなく、瞬間は

ただ瞬間として捉えていく。何にも囚われず

流れゆく循環の「連」の中に生きてみて―。
 

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それでは、また。

 

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