主語の座を「わたし」から

「あなた」へ譲り渡してみる

それだけで世界は一つ拡大する

「わたしは、こう思う」とか
「わたしの考えとしては」等々、
当然ですが主語には「わたし」が
よく登場してくるものです。

家族や気心の知れた仲間内において、
「わたしの思う儘に振る舞う」事を
「いいよ」「どうぞ」と、殆どを寛大に
許して貰っている自分の立ち位置が
「普通」「当然」として据わっていると、

「自分の欲求」へ意のフォーカスが
かなり強いので「自分が一番」という
コントラスト的世界観になりがちです。

それは純粋な子供の我儘のような
イメージで、それが普通に通ると
思っている節がある、つまり盲目とは
「悪気がない」が故に気づかないため、

現実でドカンと學びを体験することで
「何で?」とやっと「自分=自我の意識場」
を見つめる意識が芽生えるのが人間です。

「協働共存の観点」とは対照的な
「自我の観点」を「知らずに」
使い続けるグランディングは、着々と
「創造主の決定」として採用されています。

循環のない孤独の沼のような
「自我の意識場」の「我が心情第一主義」
という周波数反応、幻想反応を、
反射的に使ってしまうという時は、

「わたし」から「あなた」「君」など
相手を主語にする言の葉の形状への
転換が効果的でお勧めです。

「あなたは、どう思いますか」
「あなたは、どう感じますか」
「あなたは、どうしたいですか」等々、
「自分=相手」という鏡の法則から
「相手」に先に語って頂くようにします。

そうすることで「わたしの気持ち」
「わたしの想い通り」「わたしの欲求」
という我の儘を通すことが軸なんだと
「わたしが理」の歪んだ自分軸の世界観から、
距離を置くことが出来るようになります。

「あなたが」心地よいことは何でしょうか。

「あなたは」今どんな体験をしていますか。

「わたし」ではなく「あなたという鏡」に

「わたしを映し観る」鍛錬へ挑んでみる。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
例えば「欲しいなぁ」と思う商品が
残1だった時、相手も「欲しい」時は
人間的な観点だと、じゃんけんとか
譲り合いや話し合い等へ発展して、

結果としてどちらかが獲得し、
「どちらかが我慢する」ような
世界観になることがあります。

分けられない物質が1つであれば、当然
得る人も一人というのが物質的観点です。
そうすると得られなかった世界側は
「我慢」の世界観になりがちです。

「物質界」に観点を置いていると、
「我慢」という世界観から
解脱することは厳しくなってしまいます。

なので「意識界の観点」を立てる鍛錬として、
今日は「鏡の法則の學びの日にしよう」と
「決定」してやってみる体験はお勧めです。

「相手=自分」として1日を過ごすのです。

「欲しいなぁ」と思う残1の商品を、
相手が「欲しい!」と云うならば、
「わたし=相手」が決定しているので、
「よかったね、ラスト1つだよ!」
と、自分が獲得出来た観点から捉えて、

「相手が喜びに満ちている=わたし」
の状態として「相手と一緒になって」
「嬉しいね、よかったよね~」
「最後だったもんね、ラッキーだね」と
「自分ごと」として相手の世界観を
一緒に体験していきます。

「あなたは、どちらがよい?」
「その時、あなたはどうしたの?」
「あなたは何が食べたい?」等々、
1日の全てをそうして「相手」という
「わたしの鏡」を主軸として動き、
「相手=わたし」の話を丁寧に聴き、

「わたし」を接待するように
「わたし」がそうして欲しいように
「相手というわたしの鏡」へ
動エネルギーを創造していく鍛錬です。

「わたしは、こう思うのだが」
「わたしは、こうしたいけれど」
という観点は、何もかも全て手放します。

それって「我慢じゃないか」と
感じる位置は「自他分離」の観点です。
そして「納得してから」といつまでも
「理屈」を捏ねてばかりで動かないならば
一歩も進まないのが意識界です。

「やってみて、そう成る」体験をして
腑に落としていく検証が全てです。
「相手を自分として過ごしてみる」と
「決めたら、そのようにやる」のです。

「決定へのみ動く」世界を創ります。

真剣に全力で「決定」を成すと、
行動グラウンディングをすればする程に
「相手=わたし」という融合意識が高まり、
「相手が喜べば喜ぶほどに」
自分が満たされていく感覚になってきます。

そうなると、相手と自分が一心同体で
循環しているような世界観になるので、
相手が心地よく気分よく過ごすと、
わたしも心地よく気分よくなる、
という連動連帯の感覚が解ってきます。

「我慢する世界観」や「わたしだけ
いつも損ばかりする世界観」等々を
使わなくとも「わたしも、あなたも」
「同じように喜びに満ちる世界観」を
創造出来る方向性の観点を掴めると、
世界の創造方式が大きく転換し始めます。

「役に立たなきゃ」の無価値・劣等観点
「迷惑をかけては」の自己犠牲的観点など
全て「自他」を完全分離して
「わたし」だけの世界観に立つ時のみ、
体験が可能になる創造です。

「どう振る舞うのが正解か」を探して、
相手によって「正解の形」を提供しようと
「自分」を創造する観点も、
「自他分離・孤独」という自我の観点です。

「循環」は常に「相手=わたし」の観点へ
創造の舵を取っていく方向にあります。
「一体どういう事だろうか?」と
感じれば感じる程、上記の鍛錬は有効です。

ただし「何となくやってみる」と、
「全然、わからない」世界が出来ます。

「わかりたい」「味わってみたい」
「それが体験出来る位置に立ってみたい」
という創造主として「決定へ動く」という
「意のフォーカス」があるならば、
必ず体験が可能です。

「わからない」「出来ない」は
「方法や技巧ではない」という事に
人間はそろそろ本気で気づく時です。

「いや、本気でやろうとしている」
と自我はすぐに跳ね返しますが、
「気持ちばかりある」のでは
「理」がないので空回りになるだけです。

「気持ち」を「具現化への行動」に
転化する事が必要だということです。
それが出来ない時、具現化には至らない。
「本気です。けど〇と△以外でお願いします」
という意識ではお話しにならないのです。

「出来れば、〇と△以外で」など
注釈や補足を付けている時点で
「決定はない」と捉えていきます。
2023年からは「潔さ」に立ちます。
曖昧さ、依存、我が身一番であろうとする
強欲な自我の意識場は幻想の創造場です。

「決定を具現化するか否か」については
「わたしの言動一つ一つに全て懸かっている」
と自立的な創造主の観点をしっかりと据えて、
「今日、わたしは、あなたに成る」と
決めることでエネルギーが繋がり始めます。

「一緒に楽しむ」「一緒に喜ぶ」
「一緒に食べる」等々全ては、
「各々の世界観において体験する」事、
つまり自我の意識場でも
勿論可能ですが、その場合は、
「互いが興味のある事であれば」という
外の世界へ制限がかかっていきます。

「わたし」という自我の孤独に在ると
「わたしは、興味がないから」など、
「わたしがどうであるか」の自我を主軸に
外を選択するので、自我世界の許可する
体験世界に生きる事になります。

そうなると協働共存は、自我とよほど趣味が
一致しないと厳しくなります。
凸凹のご縁は殆ど使えない事になるので、
真なる融合からも遠ざかります。

凸凹なので、別々に行動してます、
というのは、三次元的な協働作業です。
ビジネスパートナーのように、
互いの自我世界を護りつつ、何らかの
物質界のある創造のみ共有しているイメージ。
循環ではなく、合理性に基づいている。

「宇宙の法則」は全て循環に基づきます。
「相手=わたしの鏡」という観点だと、
「相手が興味がある世界」という事は、
「わたしもきっと興味があるのだろう」が、
「しかしそれが何なのかに気づいていない」
つまりわたしは今、盲目に在ると捉えます。

なので「わたしの知り得ない世界」に
出逢えるという方向へ軸を置いて、
「相手が何をどう楽しんでいるのか」
「相手がどんな風に世界を観るのか」
という事を「一緒になって体験してみる」
行動へグラウンディングしていきます。

「わたしの思い通り」の世界観を

生きていればいるほどに、相手を自分として

過ごす鍛錬は厳しいと感じるものです。

常に「わたしを最優先」にしてきた人間は、

すぐに不平不満に塗れたり、傲慢になって

「感謝されるべき」という態度に出たりします。

けれど「相手=わたし」の世界に生きてみると、

わたしが心地よく過ごしている時、相手はいつも

こうやって共に喜んでくれていたのだろう事や、

そんな時もわたしはいつも「孤独」の世界で

「一人楽しんでいる」だけだったという事など、

「分離意識」が身に染むように観えてくるもの。

そして「孤独」だとか「解ってくれない」とか

散々な事を周りにぶつけて生きてきたけれど、

わたしが「自分」という世界観に閉じこもって

そこから出ていかなかっただけだと気づく。

誰かがノックをしてくれるのを待っている、

誰かが迎えに来てくれるのを待っている、

そんな依存に生きている自分を捉えたならば、

「自立」という方向へ舵を取り直します。

上げ膳据え膳で必要な全てが用意されて

やりたい事をする世界に行きたいならば

誰かや何かに依るのではなく、その全てを

準備しその世界を創るのは「わたし」です。

ゆえに「孤独」に生きていては、体験したい

世界全てを創ることが出来ないのです。

協働共存の観点、融合的意識場を準備します。

その創造発展に最適な「相手=自分」という

「鏡の法則」を3次元へ応用する鍛錬は

「喜んでるフリ」ではなく、心底、喜び満ちる

体験の到達まで継続をし「自我の抵抗」を

「真に」超えることが出来るならば、

「かなり」有効に意識場へ作用します。

自我の楽に流れる儘に行く幻想者を手放し、

体験世界を一転する挑みへ向かう 一歩をー。
 

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読んで下さって、本当にありがとう。
訪れて下さって、本当にありがとう。

それでは、また。

 

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