自己犠牲的になることと

全力で在ることは全く異なります。

「自己犠牲的」という感覚がくるなら
そもそも、そのことにおいて
「何等かのひっかかり」があるんだ、
という事が観察できます。

振動周波数的に「ザワつき」がある事へ
なぜ「自己犠牲的」になってまで
行動しようとしているのでしょうか?

その「問い」へ先に対峙することが、

何よりも先決なはずです。

常に「自分が言っている言葉」
「自分が感じていること」に囚われず
「観察」する視点をもつことで、

根本や大元へ意識をフォーカス出来ます。
 

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神寄木賀集 事務局PLANET
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ちょっと間が空いてしまってごめんなさい笑い泣き音譜

本日はクライントの匿ちゃん(匿名希望)様から

頂きました内観です!!とてもわかりやすく

「融合」「観点」に言及されていて、ああ、

こうやってみればいいのか~と、

ふむふむ、となりやすいかと思います照れ

よろしければ是非ご一読下さいウインク

 

「自己犠牲」と「全力で在ること」
の「境目がわからない」という
ご質問を頂くことがあります。

その問いが出る感覚やお気持ちは
十二分に理解できます。
「どうしたらいいのか」という質問を、
かつてガイドにぶつけていた頃、
似た問いをたくさん持ったからです。

しかし「在り方」という角度から
捉えようとする「意識の観点」は
「知識を得る」時に使う位置にあります。

「判断をしよう」としているのです。

わたしの、この振る舞いは、
「自己犠牲」になってしまうのか?
それとも「全力」に分類されるのか?

そうした事をグルグル考えてしまい、
その「基準値」のような
「こうだったら自己犠牲」
「こうだったら全力」
と「判定できる指針や何か」を
捉えようとしているのです。

この時の意識のフォーカスは

「判定出来る指針はどこなのか」

というところにあるのです。

つまり「自らの感覚」でもなく
「自らの観察」でもなく
「目の前の出来事を判断出来る
 材料となるものを見つける」
という意識になっています。

だから、ゴールのない意識の世界に
迷宮入りしてしまうのです。

こういう「どっちなのか?」の問いを
観察する時というのは、
「その質問を創造した意識」と
「どちらが?という問いにあがった
 項目を捉えた自分」を観察します。

まずは前者の
「その質問を創造した意識」について。

以前もブログでもお伝えしましたが、
セッションでも常日頃
お伝えしている事と重複しますが、

「自らが創造している出来事の
 外側から、その出来事の中にいる
 自分丸ごと含めて観察する」

という事が「俯瞰」の位置になります。

「創造の構造」を観る位置です。

「創造の構造」を観察する時は
「一切物語をみない」
「一切出来事の詳細をみない」
という事が一つのコツとなります。

なぜならば「自己犠牲」とか
「全力」とか言葉を当て嵌めると
「自己犠牲の意味」
「全力の意味」という、

「構造とは関係ない部分を
 考えようとする自我」に
囚われて進まなくなるからです。

慣れてくれば、瞬間的に全てを
視通すことができますが、
それは慣れ切った先のことで、

最初は「一つ一つ丁寧に」捉えて
「一歩一歩進む」ことが、
意識の世界では最も大切です。

「自己犠牲と全力の違いは何?」
ということを、置き換えて
「〇〇と△△の違いは何?」
と捉えている自分を観察します。

そして「違い」を捉えたいのはなぜ?
と、問います。そうすると、
「違いを捉えて、対応を変えるから」
ということであれば、

「区別、判断の為に違いを知りたい」
という、自分がいると観察できます。

「~~であれば〇〇で
 ==であれば△△です」

という意識の構造というのは、

「赤信号であれば止まれ
 青信号ならば進めです」

という構造と同じです。

「赤が止まれ」で「青が進め」と
全員が使っているルールは、
「もともと赤そのものが、
止まれの意味だったわけでなく」

「交通ルール」の世界では、
「赤」をそう定義し、同じく「青」も
そうすると「決めた定義の枠」が
外側にあるわけです。

そうした「外側の枠」のような
「決めごと」を探そうとする意識で
世界を捉えようとしているから、
「〇〇と△△の違いは何?」
という質問の創造へ至ったと観察します。

「正解のような定義に沿って
 分類・判断する意識の構造を
 使って創造した質問」であって、

つまり「〇〇と△△の違いは何?」は
「その質問自体が外軸になっている」
と、観察出来るわけです。

「創造主として起動する」ことは、
ゼロから世界を組み立てるわけで、
「先に何かが存在している」
と捉えている意識の中で、
それを成すことが出来ないのです。

「何かがあって、それに沿って
 生きることが正しい」としてきた
世界観から解脱するならば

「全てを外側に合わせよう」とする
意識の構造を使っている自分を
日常的な観察から捉えて気づき、
その意識を解除する事が必要です。

創造主として起動するならば
「答えは常に、外ではなく内に在る」
と捉える意識を確立します。

さて「創造の構造」を
観察できれば、次に後者の
「どちらが?という問いにあがった
 項目を捉えた自分」を観察します。

「自己犠牲」という言葉を
「全力」という言葉と並べて
「境目を知りたい」としたわけです。

という事は何等かの出来事において
「犠牲的な感覚」を持った、
という事があるはずです。

「いいえ」という人は、
よく現実を再観察される事をお勧めします。
意識はフォーカスしないことを
「問い」にしたり創造しないからです。

前述の外軸な創造構造から、
「犠牲的な感覚」が重たいが、もし
「これを超える事が全力ならば」
「このまま続けるしかない」
というような意識から、
その質問をした可能性は高いのです。

ここでは「何に犠牲的な感覚」を
抱いているのかを捉えます。

そもそも「犠牲的」な感覚があれば
「全力」など使えないのです。
なぜなら「それをやりたくない」
という感覚があるから「犠牲的」に
なるわけですから、

「やりたくない」のに「やる」を
選択しているのはなぜか?
という問いを立てます。

すると「やらねばならない」とか
「失いたくないから」とか、
制限や執着などが観察できるはずです。

そうした背景が「重たさ」である
自己犠牲的感覚や、
外軸の質問を量産しているならば、

「ねばならない」となる意識の観点で、
世界を創造したいのか、
「失いたくない」となる意識の観点で、
世界を創造したいのか、

創造主として「どうしたいか」を
決める必要があります。

「やらねば、失う」世界や、
「失いたくないから、やる」世界は
あなたにとって楽しい創造でしょうか。

「仕方なくやる」世界観の創造構造は
ひどく外軸で、3次元に沿っています。

「やりたいからやる」感覚を
創造できる創造主になってこそ、
「全力で生きる」世界観に成るのです。

「やりたい」という観点に立つ事が先、

ということになります。

「やりたい」になる観点は、自我の影の
「死角を観る」位置まで、胆力をもって
解脱し「気づき」が創造されることで
得ることが可能になります。

世界を「犠牲」の角度から捉える限り

「學ぶ」ことが出来ません。

なぜなら「やってあげている」という

「傲慢」を使っているからです。

全ての出来事を「被害者」「犠牲者」

という傲慢な意識の観点を使わずに、

「させて頂いている」角度に合わせた

「胆力をもった行動グラウンディング」

を成す先に、大きな光明が差すのです。

体験的に、そうした胆力の先にのみ

目醒めの光があると捉えています。


集合意識の在り方が、停滞気味だからか


厳しめな言霊が降りていますが、


エネルギーの振動と音通りに訳すと、


自己犠牲を語る前に、被害者意識を語る前に


まず「身の程」や「分」を知ること、


自らの傲慢や、自らが何たるかを 知れ


というイメージです。


「生かされている」ことに真に気づくことで、


「全力で生きる」が創られるからです。

一つの意識次元を解脱する時の


はじまりの全力は「胆力を持つことに使う」

そう云っても過言ではありません。

行きたい世界が、その先にあるから、

そこへ行動したい強い希求があるから、

今この瞬間も、それが続いています。

「やりたい」「やってみたい」
「もっと知ってみたい」

尽きない無限の希求が覚醒を促進します。

覚醒は「執着」「損得」を基準に

やろうとしても不可能です。

しかし「好奇心」は可能です。

「好きこそ物の上手なれ」の流れの中で

「超える山」は存在します。

「希求」「好奇心」「好き」「楽しい」は

「山を山と感じない」波動があるから

驚異的な胆力が、自然と創造されるのです。

「執着」「損得」の重たい波動では

胆力など、とても創造されません。


何を捉え、何を感じ、何へ行動するのか、

全てを決め、全ての世界を創造するのは、

あなたのみです。それを真に知った時、

あなたの世界は大きく動き始めます。

外軸な創造をやめて、最短最善を創造する、

真なる創造主の起動を目指すのです。
 

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いつもありがとうございます。

読んで下さって、本当にありがとう。
訪れて下さって、本当にありがとう。

それでは、また。

 

           RINEN EARTHEAN PJ