投影反応から逃げる程 自我の壁は強くなる

反応を超え 投影の「創造構造」を崩す観察を

一時停止不可能な「現実」は、あっという間に
過ぎ去ります。反応サインを「ゆっくり感じる暇」
などはないままに、「今、何かモヤッとしたな」
「ムッとしたな」と認識した瞬間には、もう現実の
場面は次の瞬間へと切り替わっている。

「体験者」は常に「置いてけぼり」なのです。
しかし、実はそれでいいのです。なぜならば
それが「今この瞬間点」のスピードだから。
しかし「コントラスト物語の反応体験」の中で
生きる「体験者わたし」は、「物語の流れ」を
見失うと困惑してしまう。「えっ?えっ?」と、

「どうしよう、わたしの立ち位置が見つからない」
「何をどうしたらいいんだ」と思っているうちに
全自動洗濯機のように、目の前の現実は
行程をどんどん終了して移り変わってゆく。
思考など追い付くわけもない、振動のスピードで
「今この瞬間」=「現実の到来」は進むので、
「体験者わたし」は必死で「反応をかき集める」
ぐらいしか出来ない。そして後から思考して、
「自我物語とのズレ」を発見すると、「じわじわと
腹が立ってきた」みたいな体験をするのです。

「かき集めた反応」を「自我物語の軸」に沿って

置き直して「改めて追体験する為」に使うと

体験者を強化します。「観察」に使うのです。

というと「現実に流されておけばよい」と、すぐに

簡単な「反応の否定」=創造放棄を使うのが

二元構造の御自我様。それは「反応する」→

「反応しない」の体験のスライド創造です。

「反応がゼロ」となる創造構造に調えてゆく

=「流れと融合する」全なる一を目指す。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
時間軸のように3次元世界だけで使われる
「思考」というものは、非常に重たく遅いです。
一方で「直感」「瞬間的理解」「無意識」などは
気づかない程の一瞬です。例えば「呼吸しよう」と
思考が働く間もなく、無意識レベルで自動的に
創られるように、完全に意識にセットされた
モードは軽やかに自動操縦で具現化するのです。

つまり「思考」というのは、「時間」と同じように
「協働創造において適宜使うツール」です。
「いつ、どこで、誰と、何を、どうした」みたいに、
「わたしの認識している世界」を、他者に伝達したり
示したりする時に「理解しやすく組み立てる」とか、
「適切な言葉を選定する」等々を創っていく際
使うツール。なので「思考」自体は、時間軸と
同様、「創造ツール」でしかないのです。

創造は「意識とエネルギー」が全て。
「具現化創造」=「基盤となる意識場や、
行動グラウンディングの振動エネルギー創造」
においては、思考は使わないので、
瞬発性に欠けていても全然問題ないのです。

意識とエネルギーが決定していれば、
「意識の在り方・振動数」の方向性は
自動的にセットされる為、そうなると後は
物質界の流れで行われる言動を、「話ながら」
「思考というツール」を使って、言葉の選定や、
組み立て方の構造を考える事が出来ます。
物質界へ「意識を具現化へ転換」する
「創造ツール」として思考はとても役立ちます。

しかし、「体験者わたし」にとっては、
「思考」が瞬発性に欠けると問題が生じる。
これまでの「一連のわたし物語」の上に、
目の前の現実をどう組み込むかが不明では
「辻褄が全く合わない物語を読む」「伏線が全く
回収されない物語を読む」等々のような
「ストレス」がもの凄く溜まってしまうのです。

だから、流れ行く現実の中で「反応」だけを
取り急ぎ拾い集めて、後で「ゆっくり考えよう」
みたいな事をする。それは「後でゆっくり、
体験者わたしの観点から体験しよう」と同義。
だから、「わたしから観た現実」を追体験し、
「なんで、言われるままにこうしちゃったんだろう」
「もっとゆっくり考える時間があったら、こうした」
「このように言えたのに」「こう出来たのに」
みたいに、ジワジワと後から腹が立ってきたり、

「あれはどういう意味だろ」「あの時の言葉は
わたしのせいって言いたかった?」等々のように、
より疑問が深まり悶々としたりする。
これは「御自我様の辻褄合わせ」創造です。
「観察」にはなっていないということ。

そもそも「追体験」が出来てしまう観点は
「体験者の観点」です。「観察」をする時は
「観察者の観点」で行うのが必須です。
拾い集めた「反応」に対し、体験者は
「記憶を使って追体験しよう」としますが、
観察者の観点は、「どんな出来事において、
どのような共通事実を観る事が出来ずに、
どんなコントラスト構造を使って、その反応を
創り出したか」という創造構造を観ます。

よく、「10年前の〇〇の体験が忘れられない。
何度観察しても、反応が外れない」等々の
お話がありますが、それは「観察」という名の
「追体験」をしている状態です。つまり、まだ
御自我様は、「この体験は、わたし物語に
全然ふさわしくない」と否定していて、だから
「絶対受け容れたくない」=「拒絶」をし、
その件だけは「許さない」と掴み続けている。

何年前の「反応」でも、掴む決定がある限り
生涯を通してずっと「追体験」が出来るのが
投影幻想の世界観です。なので「観察」時は
「追体験」=体験者の観点になっていないか、
というのは要チェックポイントとなります。
「観察をしているとしんどくなる」「重苦しい」のは
完全に「体験者モード」です。だから「観察」が
進まないから「しない」、という流れを創ると、
御自我の思う壺、自我幻想に浸り続ける事になる。

「観察」は、「反応を創っている認識の構造」を

観る為にあるもの。その為に、「自我の観る

世界」から「自我が認識する事実と、自我が

思考で創り出している世界」「自我が選択

している周波数」を、観る必要があるだけで

それは「体験者モードで追体験をする為」では

ないのです。「観る」時は、「反応を追わず」

「構造を観る観察者」を使う。そして事象の

「共通事実」と「自我の認識する事実」の

「差異・ズレ」を観て捉え、「認識の歪み」を

導き出す。すると体験者の「反応」を創っている

「コントラスト構造」が崩壊するのです。これが

「観察」の目的であり、観察者の役目です。

簡単に云えば、「種明かしをして、二度と

幻想に嵌れない程、白けさせる」ということ。

「観察」をする時に、再び反応に溺れるならば

「自我が出張っている=体験者モード」です。

どんなに重苦しく圧し潰されそうであっても

「また、こんな幻想を観てるな。まぁ、安心して。

今からこの辛苦幻想を消滅させてみせるから、

黙って最後尾に下がってなよ、御自我ちゃん」

ぐらいの、気概でど真ん中を超えてゆくのです。

反応の真正面、そこが突き破れるポイント。

「反応の幻想から逃げない」決定を実行する。

幻想の痛みを避けて、斜めからなんてやってると

傷口にくっついた絆創膏をゆっくり外すみたいな

ジワジワした痛みが続くだけです。剥がす時は、

一気にいけ。だらだら逃げても何の得もない。

最も痛い箇所の観察を避ける限り、何度も

同様な現実を繰り返し体験する事になります。

自らを導けぬ限り、覚醒は困難を極めます。

例えスピリットガイドであっても、創造者の

代わりは出来ない。最も高いサポートがあっても

創造者が「しない」限り、何も具現化しません。

「トップクラスのバレリーナにして下さい」と、

一流のコーチに大金を詰んでも、当人が殆ど

練習をしないならば、具現化しないのと同じ。

「練習してると、筋肉痛になって嫌なんですよ。

しんどくならない練習ないですか?全く負荷が

ないような」と同じレベルの言葉が、「観察が

しんどいのです」という音です。「覚醒風」でも

よいならば、正規ルートを手離して、気分が

よくなるスピリチュアルなお話を聴いて「わたしに

出来ることだけ」する事を、転々と継続すると

人生終わるまで「やっている感じ」を維持する

事は出来るかと思います。真なる覚醒ルートは

「破壊と再創造」は避けて通れないと心得ます。

「厳しい」と思うかもしれませんが、それは

「御自我ちゃまの想い通りに出来ない事への

不平不満」を大人風に言い換えた幻想言葉です。

「これまで」の自我物語の世界線上に生きる

「わたし」世界を崩し、それを超えた時、やっと

新しき未知は道と成っていくのです。大丈夫。

実体がない幻想など、恐るるに足らず。

宇宙の大転換期は『魂の羅針盤』の流れに

一気に乗る好機。そこへ繋がる道を創って―。
 

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An gal-ta ki gal-se  PJ

積年の想いを果たそうと「幻想物語」を生きず

最善最良「点」を創造する今この瞬間を生きる

「無価値」であれ「劣等」であれ「怒」であれ、
御自我様の「こじらせ幻想物語」の殆どは、
「わたし最高位を認めろよ」出張りに過ぎない。
承認欲求も嫉妬も、全ては「自分が一番」で
「特別扱い」されるまでは止めません的に、
意地になって幼い物語性を追いかけている。

そうした自己満足の追求が、延いては成長に
繋がるのだという御自我見解もあるようですが
意識のフォーカスが「我が満足の創造の為」と
「欲」がベースにあると、「欲」は更なる「欲」を
呼び、更新され続けるので「枯渇」状態が続く
という盲点に気づいていない。全てが「無限」に
在す宇宙は、「欲」も無限。キリがないのです。

「わたし」を経由することで「今この瞬間点」を

「過去・現在・未来」の時間軸に自由自在の

角度で配置して「一連の物語」に留め置くと

「体験者」の観点が全ての世界に嵌ってゆく。

実際は「ない」世界を「ある」ようにみせている

二元構造の投影システムから解脱する。
 

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「体験しようとしなければ全ては消滅」します。
もし、肉体に物理的な要因、例えば切り傷や
打ち身などががあって、痛みという症状が
出ている場合は、要因が去るまで消えませんが
意識のフォーカスを「痛み」から外すことで、
体験を軽減することは可能です。

何かに集中している間、痛みを忘れていて、
ふと緩んだ時に思い出したように痛くなる、
という事があるように、「今何を体験するか」は
意識のフォーカスによって先導出来るのです。
但し、「生命の危機」を報せる痛みであれば、
無視すればするほどに、大きくなります。

物理的な範疇でも、体験濃度の変更が
可能ということは、「感情反応」は更に可能、
つまり意識の先導によって、「消滅」させる事が
普通に出来てしまうのです。「世界」というのは
「起点となる角度」がなければ創造されません。
例えば、街中を歩いていると、人の数だけ
「何らかの体験世界」は存在していますが、
わたし達はその事にまったく気づいていません。

というか「世界がないので気づけない」のです。
なぜなら「わたし」に反応がないからです。
ここで、誰かぶつかって物を落とすとか、
道を尋ねられる、等々の接触があった瞬間、
はじめて互いの「わたし」という起点を通して、
「ある角度」=「自我の意識場のフォーカス」
が創造する「世界」の認識が誕生するのです。

例えば「目を見て謝らず、無礼な人だな」とか
「凄く丁寧に教えてくれて、親切な人だ」等々
「わたし」という各々の意識場の「我軸」によって
「肯定・否定」のように振り分けられ、個々の
「体験したい世界」が誕生するみたいに。

歩いている時、ただの流れ去る景色でしか
なかったあらゆる存在が、なんらかのイベントを
通して「わたし」と接点を持った瞬間から、
意識場内において「創造起点」が立ち上がり、
意識場の設定に沿った=「わたしの体験したい
方へ全てを認識する」世界が創造されます。

同じ出来事を前にしても、色々な解釈が
存在しますが、「どれが正解」は全くないし、
よって「間違い」も存在しません。どの解釈も
その御自我様が「体験したかった世界をただ
創っただけ」に過ぎず、「あ、そういう世界を、
体験したんですね」で終わるお話なのです。

わたし達は小説を読んで色々な感想を抱きますが、
それは、誰かの話を聴いて「何その人」
「それはひどい」「そんな言い方しなくても」と、
「ある体験物語の主人公」に同調するのと
全く同じ創造構造です。主人公に「わたし」を
重ねて小説を読みすすめるのと同様、
「ある体験者にわたしを投影」して
その物語体験を同じように楽しんでいるのです。

なので「話をする」方向性が一致していないと、
「つまらないな」となってしまうのです。ある人は
「わたしの体験物語を一緒に体験して欲しい」
=「主人公への共感」を求めていても、
話す相手がその話を「わたし」を通して聴いて
「わたしなら、その出来事をこう体験する」と、
「新しい体験物語を披露」したりすると、
話す方は「そういうのいらない」と思ってしまう。

なので「こうしたらよかったんだ」とか、主人公が
そんな思いをするのは、こう行動したからだとか、
「それは、こういう解釈なのでは」みたいな、
「ダメ出し」や「再考アイデア」などは、
「自分の体験で好きにやってくださいよ」
「今はわたしの作品の話をしてんですよ」的に、
余計なお世話、と不興をかってしまいます。

「ああ…だよね…」「まぁ…そうなんだけどね…」
みたいに、急に話者のテンションが下がって、
その話が流れる時は、話し手と聴き手の
方向性がズレている時です。創作体験物語を
披露したい話者だと気づいたら、聴き手は
「主人公が観ている世界を一緒に観る」事で
「へーそうなんだ」「ああ、そう感じたんだ」と、
共感を創る事も出来るし、その一方で、

「なるほど。わたしはまだこんなにもどっぷりと
自分の角度の体験物語を持っているのか」と、
自らの体験者意識の観点の濃さを観察する
ということも出来ます。「他者の体験話って、
読みたくもない小説を読まされているみたいで、
時間の無駄のような感じ。早く自分の話を
披露したい」と思うならば、わかりやすく
「自我中&自己満足最優先」を鏡し合っている。

ある事象は、ただの事象ですが、それを、
どの観点から認識するかで「無限に解釈」を
創造する事が出来ます。同じ行動をしても、
個々の自我の意識場で「認識した体験」が
各々の自我世界で展開されているだけです。
例えば、「これ、悪いけど1時間で資料作って」
と、依頼されて「資料作成」行動をしても、

ある自我の認識では、「もっと早く言ってよ。
会議があるってとっくに分かってたでしょうに」と
イライラとした体験世界が、ある自我の認識は
「あ、資料追加ですか。1時間で作るとなると、
要点を抜粋しないとな」と、至って平穏な
体験世界が展開されているみたいに。

「わたし=自我の意識場の設定」を経由すると

「わたしの時間軸に基づく物語体験」を創造し

「共通事実」に沿って「わたし」を配置すると、

「最善最良の全なる一」が創造されます。

「わたし」という体験者は、今この瞬間点の

変遷を観ているので、ただの点滅をどうしても

「過去→現在→未来」の流れと認識しやすい。

なぜならば「他者と認識をすり合わせる」時に

「時間」という軸を基に話すからです。そもそも

「時間軸」は、個々の「意識の認識」を共有の

創造場に具体的に提示するツールの一つとして

創られた軸で、宇宙共通の概念ではないのです。

実際3次元世界でも、多文化と殆ど接触がない

アマゾンのような場所の奥深い地域の原住民は

「1日・季節の移り変わりの流れ」はあっても、

「時間の概念」がなく、ゆえにいつまでたっても

若々しく老化が非常に緩やかという事例が

あったりする。創造は意識とエネルギーが全て。

「時間が経過する=老ける」という認識が、

「年をとる」体験を創っているのです。そう聴くと

「時間いらねー」な気分になると思いますが、

時間の概念を外すには、「流れのままに生きる」

=「今この瞬間点に生きる」=「時間軸を使う

体験物語を生きる事を手離す」のが最短最速

となります。「今この瞬間の最善最良」へと

創造する「全なる一」として生きるようになると

「わたし」という自我意識が薄れ、段々と

「点滅の流れ」そのものへ意識が融合します。

そうなってくると「観察者」「創造者」の観点が

「体験者」の観点より遥かに強く立ってくる。

何はともあれ、覚醒は「自我の体験幻想」を

終わらせる事から。まずはそこに全力集中を―
 

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わたしを「ゼロ化」する時 変化は具現化する

「反応の繰り返し」を止め 未知のタイムラインへ

観察者は認識の「反応」を「体感」しますが、
「わたし」という自我を通す「体験」はしません。
「わたし」と「反応」は、完全に別次元において
稼働しているようなイメージです。
「わたし」=「自我意識の現在地」の呼び名、
「反応」=「現実世界のわたしの現在地と
自我世界のわたしの現在地のズレに対して
発動する体感サイン」です。

ある出来事を前に「反応」が炙り出た瞬間、
体験者は普通に「反応」に嵌りますが、
観察者は「反応」の体感サインを受けて、
「今この瞬間のタイムライン」を捉えます。
つまり、「反応を体験するか」それとも、
「反応のない世界を新たに創造するか」を、
瞬時に選択決定する必要性を観る。

炙り出た「反応を体験する」という事は、
「自我の意識場の創造構造」に沿って、
「いつも通りの自我世界を生きる」決定です。
なので、いつまでも「反応を体験してから」
「また、やちゃった」みたいに、後観察ばかり
重ねていても世界は全く変化しません。

創造エネルギーは、瞬発的な決定振動。

「今この瞬間点」にのみ発揮できるエネルギー。

「じっくり考えてから」という世界は自我都合の

幻想の中にしか存在しない。一瞬の上に在る

タイムラインから最善最良の一歩を選択決定し

具現化するには「観察者の観点」の常駐が必須。
 

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「体験者・観察者・創造者」の観点チャネルが
明確に立つと、3つの観点が循環的に同時稼働
するようになります。出逢う全ての現実に対し
「観察者」が現実データを全て観てとり、
「体験者」は果である現実と、自我の意識場の
認識の差異に反応し、「創造者」は体験者の
反応がゼロ化するように認識を調え、観察者の
データから最善最良のタイムラインを観定め、
具体的な行動グラウンディングを創造します。

文章で書くと、ものすごく時間がかかる手順の
ように思いますが、意識世界の話なので感覚は
「秒」のようなレベルです。つまり瞬間的に
「膨大」なデータを扱いながら、「具現化」する
1つを決定し、瞬時に創造を組み立てるという
「全力」な世界観ということ。毎瞬の「創造」に
全てを込めるので、「反応を体験する暇」も
「思考を体験する暇」も全くない状態です。

一方で、「自我物語」に生きる御自我様は
「反応を体験」し、「点と点を思考で繋ぐ」事に
全力を注ぎます。つまり「この反応が正当」と
なるような「前後関係」の連なりを、思考して
創り出そうとする創作活動に生きている。

例えば、「ここ間違ってたよ。直しておいて」と
云われて、ムッとしたとします。ムッとする
「反応」が体験出来るのは、「今この瞬間点」へ
至る迄の「連なり」を持っているからです。
なので「〇さんの指示通りに作業しただけだし、
わたしのせいじゃないんだけど」のように、
「ムッ」という反応が正当となる「物語の流れ」を
時間軸を基に思考を使って創作し体験します。

「いや、それは創作ではなく事実だよ」と、
思うならば意識の在り方は、「反応を体験する
タイムラインを決定し続けている」状態です。
「反応が全て」の世界に生きているということ。
「間違いを直して」と云われているだけなのに、
「わたしの行動は間違っていない」という方向へ
捉え直し、加えて「〇さんの指示でやっただけ、
わたしのせいではない」と、誰にもあなたのせい
と云われていないのに、被害者体験が出来るのは
「反応に基づく創作」があるから。

そして「反応体験」を一通り終えて満足したら、
「ああ、被害者意識をまた使ってしまった。
ただ間違いを直してって云われただけなのに。
わたしのせいであるかないかなんて、ちっとも
関係ない。協働共存の観点がゼロだ。」と、
「後観察」を何度も繰り返し続けるならば、
それは「覚醒的観察をやっている風」を装った
「反応体験を生きる決定」に過ぎない。

「わかっているけど、出来ない」タイムラインは
全て「反応体験に生きる決定」上にあります。
今この瞬間目の前には「反応を体験するか」
「新しき未知を開拓するか」の2つの選択があり
「反応を体験」した後に、何をどうしてみても、
現在地は「反応体験に生きるタイムライン上」に
在ります。「後観察」を「何度も繰り返す」なら
今いる世界は「今この瞬間」に學び気づいた事を
「次の今この瞬間に活かさない決定」を
実行し続ける世界線上に在るということ。

「反応」が出るのは、「わたし」を握るからです。

「わたし」を手離し、「間違いを直す」という

「共通事実に軸を合わせる決定」をすれば、

その瞬間に世界は「ゼロ化」し未知が開きます。

「間違いを直して下さい」→「否定」の流れを

「間違いを直して下さい」→「承諾」の流れへ
 
変えると、一切の反応がゼロ化し、鎮まりゆく。
 
但し、創造は「意識とエネルギー」が全て。
 
表面的な「承諾」行動をしても意味はない。
 
「反応が完全なるゼロ」になるポジション、
 
共通事実の流れに乗る意識の在り方が必須です。

「わたし」という体感装置を、「反応しない」よう

認識が調う配置を創るのも「創造者」の役割。

ゲームの製作者は「ゲームの世界全体」を観て

世界観を創造していくように、「創造者」は、

「体験者わたしの生きる世界」を最善最良へ

具現化するよう、「体験者」わたしを動かし、

配置していきます。「体験者わたし」と観点が

一体化したままという事は、あるゲーム世界の

支配下に生きるキャラクター体験をするような

決定です。「世界を創造する」ならば、観点は

「世界の中にわたしを観る」位置に置きます。

「わたし」というのは「現在地チェッカー」的な

装置のようなもの。電磁波や放射線レベルを

測定して対策するのと同様、「反応」レベルを

体感で測定し、「共通事実」と「=」になる

認識の配置へ「わたし」を置き直します。

「なぜ」「どうして」と反応に囚われず、

「反応」を創り出している創造構造を観て

「わたし」という物語の体験者の観点を剥離し

「反応」を消滅する認識値「共通事実」の

流上に「わたし」を配置し、ゼロ化した場から

具体的な行動グラウンディングへ動かします。

「わたし」から離れる観点の確立を目指して―
 

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「辛苦」に嵌る時は 真逆の行動へ転じること

「律動」を使ってチャネルを変える 自律に立つ

自我の意識場の幻想世界で生きている
御自我様は、「ゼロ」が存在しない。
なぜならば、未だ何もしていない起点から
常に「わたし最高位」に君臨しているからです。
その「位置」=「理想を投影した幻想のわたし」
という位置を「絶対」とする限り、幻想世界を
手離すことは決して出来ないのです。

「わたし最高位」の御自我様は、全てにおいて
「わたしはやれば、何だって人より出来る」
「わたしは誰よりも理解が早い」等々のような
「わたしは特別」観念を頑なに持っています。
なので実際の分が巡り還る「現実」との
ギャップの激しさに、「無価値感」が募る。

「わたし」を否定する現実=「誰よりも有能な
わたしを理解しない現実」を否定し、加えて
「絶対に認めさせてみせる」=「承認欲求」と、
「わたし以外を認める他者・現実」に「怒」を
現実に投影しては、すぐに隠蔽して蓋をすると
体験世界は重苦しい「闇」に沈み続けます。

「闇」から「逃げる」と、何もできないという

「怠惰」や「寝込む」状態を具現化します。

「呑まれない」を具現化するならば、体感が

どんな状態であれ、「決めたプロセス」を

歯を食いしばってでも「する」と、その「律」が

体験チャネルを簡単に切り替えます。闇の中に

「自らの律」で光の柱を立て 幼き自らを導く。
 

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~★ありえないを超えてゆく★~
 
ある体験ステージの頂点を「100」とする時、
「0」の起点に立つと「100」學ぶ事が可能です。
しかし、「わたし最高位」=「100」の起点に
立っていると、当然何一つ學ぶ事は不可能です。

例え実際に何かが「出来なかった」としても、
「そんなの、本気でやればすぐ出来るし」
「特に、やりたくないから本気ださないだけ」等々
何事も、「本気出してないから出来ないだけ」と、
「わたし最高位盾」で跳ね返して、
「現実という最善の學び」を「否定」すると、
ノーダメージ=最高位が揺らぐ事はありません。

宇宙は「今この瞬間点」しかないので、実際は
毎瞬「0」起点に立ち戻り続けているのですが、
御自我様の意識世界は「100=最高位」を
「わたし」に投影し続けます。だから「現実」を
「下」に観る傲慢がスタンダードになる為、
「わたしが気に入る現実なら本気出してあげる」
と「我欲」に一致した現実にだけ反応します。

霊性進化プロセスに基づく巡り還りの具現化が
「現実」ですから、そうした「傲慢」な「否定」は、
まるっと自らへ還り続けます。そうすると、益々
「わたしの有能さを理解しない」と否定したくなる
現実や、「絶対に認めさせてみせる」みたいな
闘争心を投影する現実や、「わたしを認めなかった
事を後悔させてやる」と、怒りや憎悪を投影する
重苦しい現実が、目の前に到来します。

「闇」は「闇」を呼び込み続け、闇ループ体験を
どんどん強大化し、やがて「わたし」そのものが
その振動数100となり、闇と成り果てる。
しかし全ては、「投影幻想」が創る世界です。
ゆえに創造者の「決定」と行動グラウンディング
によって、いかようにも変える事が可能です。
闇に「呑まれきってしまう」前であれば。

やり方は至って簡単です。「意識の在り方」を
「現実」に100一致させるだけです。
「わたし最高位」の御自我様は、これまで
体験全てを幻想の再生に使ってきたので、
「霊性進化プロセスを具現化する未知」を
全くもって歩んでいません。その事に、まず
「気づく」ことが霊性進化のはじまりになります。

「いや、選択を間違ったとか、あの時こうして
いれば、言い方を間違ってしまったな等々、
わたしだって色々學んでますよ」と思いますが
その殆どは、「思い通りにならなかったケース」の
後悔幻想という「空想」に過ぎないのです。
「今度、同じような事があったらこうしよう」と
結局「今の意識の在り方」のまま終わっている。

「間違った」「あの時こうしていれば」等々、
「後悔」世界を体験している事自体、
「わたし絶対値」に在る証のようなもの。
「間違い」は、「絶対点」がある時に創る事が
出来る世界です。毎瞬「0」点に意識が在ると
「この現実に、最善最良の學びがあるのか」と、
「今はここが、現在地なんだ」と意識の観点を
「今この瞬間」へチャネルする事が出来ます。

「今度、同じような事があったら、こうする」と
「やり方」を覚えたり、「選択を変える」だけでは
「絶対点」は不動のままです。「後悔している」
「間違ったと騒いでいる」その意識の在り方、
即ち「現実を否定している意識の在り方」を、
「現実と一致するように」調えることで、
「學び気づく」観点が立つのです。

「この体験から何を學び糧とするか」が、
「次の瞬間の具現化」創造に直結しています。
「意識の在り方」を「現実=わたし」に合わせ、
その時に炙り出る「無価値・怒・憎悪」等々は
「全て投影幻想」とスパっと切り離して、
意識を「共通事実」に集中させて、その事象の
「全なる一」の行動グラウンディングをしていく。

「わたし最高位」の御自我様にとって、
「現実」は「わたしのやりたくない事ばかり来る
面倒でしんどい世界」でしかありません。
「なんで、こんな事しなきゃならないの。
こんなに優秀なわたしに相応しくないでしょ」と、
ピッタリ一致した現実を前に、「やりません」
「うけません」「やめます」「しりません」等々、
「否定」して、やりたい事だけしかしませーん、
という怠惰な世界観で生きようとします。

それも一つの選択ですが、闇落ち体験プロセスを
歩んでいると自覚しておく事は大切です。
常に毎瞬「0」から始まる中で、學びを放棄した
「わたし最高位100」の御自我様は、人生が
進むにつれ、課題が山積みになります。つまり
終盤になる程、重苦しい世界観になる。
よく「わたしは何だって、叶えてきた」と、
我の強い人はいいますが、それは過去の幻想、
『魂の羅針盤』の序盤の頃の話です。

例えば5キロぐらいの荷物は何とかなっても
100キロの荷物を常に抱えて歩くとなると、
進まないし重苦しさと疲弊が募るのは当然です。
人生が進めば進む程、我欲めがけて突っ走る
これまでのやり方は通用しなくなるのです。
「決めてきたこと」から逃亡して課題をどんどん
山積みにする程「闇」が増大化するという事。

「闇」も「光」も全て自分自身ですが、どちらの
振動数に「意識のフォーカス」を先導するかは
創造者の決定と行動グラウンディング次第。
「闇」に意識をフォーカスすると、何も出来ない、
怠い、何もしたくない、寝て過ごしたい、好きな
事だけをしたい、虚しい等々に引っ張られて、
「怠惰」を行動グラウンディングして、「自分で」
重苦しさに塗れる世界を具現化してしまう。

「光」の方向へ転じるならば、その「律」を、
「行動グラウンディング」で具現化するのです。
「何もしたくない」→「決めたプロセスをする」
「何も出来ない」→「まず何か一つを行う」
「寝て過ごしたい」→「起きて作業をする」
「好きな事だけしたい」→「好き・嫌いの分別なく
決めている事をする」「虚しい」→「生産的な
行動グラウンディングで充実を創る」等々、
「行動の律」に意識を調えていくのです。

行動の律で、肝になるのは「決まった時間」
「決まった場・シチュエーション」の継続です。
その時間、その場に入ると、「そのモードに
無意識にチャネルする自分」を創るのです。
時に出張などで「場」が変わる時は、
「いつもの場」で行っているイメージを使います。
「調律」してから一日を始めるのは、お勧めです。

「意識」が調わないまま、「行動」を出す時は、

パワーを要します。かといって「意識の在り方」を

調えてからなどとやっていたら、一体何年先に

行動できるのかわかりません。「闇落ち」寸前は

歯を食いしばってでも「行動」を先に出して、

ただ「行動」に集中することで、囚われていた

重苦しい瘴気の振動数を剥離していきます。

「時間」を決めていると、「タイムリミット」が

逃げようとする自分からフォーカスを逸らす軸と

なってくれます。「創造軸」の強度は、こうした

積み重ねから創られます。呑まれそうになる時、

フォーカスを合わせる「調律」チャネルがあると、

「意識の在り方」を調えられるようになります。

体験している「辛苦」から逃れることばかりを

フォーカスせず、「この体験の糧となる學び」を

観て捉える事に全てなる意識を集中します。

その気づきが「辛苦」からの解脱を具現化する。

闇に降りる一筋の柱「先導の光」を創造して―。
 

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「方向」を捉えず ただ「事象」だけを観るように

「わたし」という意識を解除した世界に立つ

事象を観る起点から「わたし」を外すと
「共通事実」を捉えやすくなります。
二元構造の「自我の意識場」は、世界が
「わたし」と「わたし以外」の2つになるので
必ず体験者「わたし」に「反応」が起こります。

なぜならば体験者は「わたし」とのコントラストで
世界を認識するからです。しかし、「観察者」は
「世界の中のわたし」という認識を使います。
「わたし」がある事象と対峙しているのではなく、
「ある事象の中」にわたしが存在しています。
それは、食器棚の中に在るお箸、的な位置。
「お箸」は役割をもっていますが主人公ではなく
「ごはんを食べる」世界の一片として在ります。

事象と出逢った瞬間「どうしよう」となるのは、

「わたし」を世界の中心に据えているから。

「どうするか」ではなく、まず「どういう事象か」を

共通事実から捉え、「世界」の全容を観ること。

 

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「わたしのせいじゃない」「Aさんは〇しなかった」
等々のように、「誰が」という部分にフォーカスを
置く御自我様は、ある事象の「事実」を観る時
必ず「わたしが」「Aさんが」と主語がつきます。
裁判のような、「誰にその責があるのか」を
明らかにする為の事実と、協働共存場の
「観察者」の「共通事実」は観点が異なります。

「いや、事実としてAさんが・わたしが」それを
したんだと思うでしょうし、その通りなのですが、
今ここで云っているのは「事実を切り取る」時の
起点、即ち「意識の観点」のフォーカスが
「誰が」に置かれていること。例えば、

「クライアント企業様との打ち合わせで合流した
同じチームのAさんが、印刷依頼していた資料を
会社のコピー機に置き忘れてきた為、先方に
連絡して、15分遅れる旨を伝え、急ぎコンビニで
データをプリントして資料を作成した」とします。

この時、「Aさんが打合せ資料を忘れてきた為
クライアント企業様との打ち合わせの席に、
15分遅刻した」と、事実を捉える観点は、
「わたしから観た事実の認識」になります。
ここで「わたしから観た事実」を外すと、
「クライアント企業様との打ち合わせの席に、
15分遅刻した」となるので、その場における
「共通事実の認識」になります。

クラアント企業様側からは、どのような背景が
あるかは知る由がない為、ただの「遅刻」です。
「実はこういった事がありまして」と説明されて
「それは大変でしたね」と受けても、「遅刻」の
事実が変更されることはないですし、

「わたし側には見える、彼らには盲目の事実」が
背景にあったとしても、「共有の場」においては
「15分遅刻」という共通の事実があるのみ。
「そうなった理由」という名の「言い訳」を、
「事実」に盛り込むのは「わたしのせいではない」
という意識のフォーカスがあるからです。
それは「わたし」を中心に世界を観る位置。
「体験者」の観点から述べた事実ということ。

「言い訳」ではない、「事実、Aさんが忘れた」と
思うのならば、まさに体験者の観点です。
Aさんとの協働創造している観点がゼロ状態。
「自社(わたし・Aさん)」と「他社」の打合せを、
「自社(わたし)」「Aさん」と「他社」のように、
チーム間で分離の観点を使っています。

御自我様は、この遅刻は「わたし」にとっては
「言い訳ではない」と申しますでしょうけれど、
「理由」というのは、「芽が出たのは、種を蒔き
水を撒いたから」とか、「入浴するので服を脱ぐ」
みたいな流れを持ちます。もし、「不測の
事態が起きた時の為に」、30分余裕を持って
現場に到着していたならば、タイムラインは
大きく変わっていたでしょうし、その選択を
具現化するスピリットは存在します。この遅刻は
「誰がそうしても、そうなる理」の上にはない。

「わたしは」ちゃんとしてたのに「Aさんのせい」で

「〇だったせいで」等々のように、体験者の

「わたしから観た事実」に観点を取る限り、

「観察者」の観点に到達しない。「わたしから

事象の方向を捉える観点」を手離すのです。

「わたしから観ている世界」を振りかざさず、

「共通事実」から、「果」という世界を観ていく。

協働創造場で「誰のせいか」など些末な事です。

もし自分が「Aさん」の立場だったならば、きっと

責める事なく自分事として、「ならこうしよう」と

切替て行動し、共に頭を下げる協働者がいたら

とても感謝するでしょうし、「待ち合わせ時間を

決めたのは、わたしだから。もう少し早い時間に

しておけばお待たせしなかったのに、こういう所

観通しが甘くて、ごめんね。気を付けます。」と

云われたら、心が軽くなるはず。協働共存の

観点は、どんな時も軽やかな具現化を創るし、

「現実は最善の學び」として「我が未熟」に

全てを還し観る観点は、優しい音を響かせる。

全ての創造は、全てのスピリットの「果」です。

全てへ巡り還るのが循環構造であり、それゆえ

「支え合い」が叶っているのです。「わたし」から

世界の「方向」を捉える孤独の幻想体験者を手離し
 
「事象を創る一片のわたし」へと下がりきって

共通事実から世界を観る「観察者」を目指して―
 

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