ユダヤ教と
キリスト教と
イスラム教の
衛生観念とお酒

ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は
同じ旧約聖書を共有し分派していった宗教

ユダヤ教には①タルムード
キリスト教には②新約聖書
イスラム教にば③コーラン
とそれぞれの聖典があるが

①と③の中には
しつこく「身を清めよ」という文言があるが
意外にも②にはさほど見当たらない。

テルマエロマエの時代にあった
公衆浴場は5世紀の西ローマ帝国の滅亡と
キリスト教の布教と共に消えていき
キリスト教圏は次第に不潔になっていった。

その一方で人口は少なからず増加し
都市部に人が増えると定期的に疫病が起こった。
それも決まってキリスト教圏だった。

時代や国、地域にもよるが多くの場合、
特にキリスト教徒とユダヤ教徒は共存しており
疫病が起こると清潔なユダヤ教徒が
井戸に毒をもったのだ…などと吹聴され
迫害の対象とされることがしばしばだった。

これはイスラム教徒とも共存していた
イベリア半島(スペイン/ポルトガル)においても
同様のことが起こっていた。

中世のドミニコ会による異端審問後も
こうした疫病は後を経たず
神の怒りだとか悪魔の仕業だとか
魔女がやったんだ、などと敵が探された。

この辺はこの辺だけで
壮絶な歴史があるが、さておき、

こうしたキリスト教圏では
衛生観念よりかは水の安全性や
臭いに対する嫌悪だけが取り沙汰された。

これによってキリスト教圏では
お酒と香水が必需品になっていったのだ。

改めてイスラム教圏やユダヤ教徒を観てみると
彼らにはお酒や香水の文化は
目立ったものとしては今もないのだ。

それは彼らが清潔だったからなのだ。

そうした長い歴史を鑑みると
英国産業革命、フランス革命、
そしてニコラアペールやルイパスツールの登場は
聖典ではない現代的/化学的な
「衛生観念」というものを誕生させ
お酒や香水は「嗜好品」に姿を変えた。

そう考えると凄い時代に生きているな…
とも思うが、

皮肉にもキリスト教が
不潔だった時代に生まれた
アルコールや香水/蒸留の技術が
現代に与えた「薬」や「消毒」は
非常に有用なものとなっている。

今回の武漢肺炎が人工的なものだとしたら
それもまたその延長線上にあるので
何とも皮肉としか言えないが
それがまた手洗いやマスクによって
ある程度予防が出来るのだとしたら
それもまた何とも皮肉な話というもの。

ただ、人類史上これほど
長生きが出来ているだけで奇跡なので
メメントモリ/カルペディエムな感じで
今日を精一杯生きていきたいと思う。

来年、3年後、5年後、10年後に
このブログが無事に読み返せることを願って。

2020年2月25日(火)
コロナウィルス真っ只中の営業日
Sherry Museumのカウンターにて。