三英傑が飲んだワインとは?


三英傑と言われるお三方が生きた時代

織田信長 (1534-1582)

豊臣秀吉 (1537-1598)

徳川家康 (1542-1616)

 

この時代の日本ではまだワインは

舶来品でしかなく

人の知らぬものでした。


では日本とワインの接点があった

可能性のあるコンタクトはいつか?

というと

1408年、現在の福井に南蛮船が来航

1549年、イエズス会ザビエル鹿児島上陸

1550年、平戸に南蛮船が来航

1569年、フロイスが信長が謁見

1582年、イエズス会天正遣欧使節団

1587年、秀吉ワインを飲んだ

1599年、九州にフランシスコ会上陸

1600年、大分にオランダ(新教)上陸

1609年、御宿にスペイン船沈没

1611年、浦賀にスペイン船来航

1613年、英国東インド会社来航

などなどが挙げられます。


この時代の移動手段は「帆船」です。

しかも欧米を出て日本に来るとなると

喜望峰経由であろうが

メキシコ−フィリピン系地であろうが

片道で1-3年かかります。


となると普通のビールやワインは

日持ちしません。


当然「強化ワイン」であることが

必然なります。


で代表的な強化ワインには

1264年以降のシェリー酒

1425年以降のマディラ酒

1670年以降のポート酒

というのが一般的です。


ここで一つ注意が必要なのは

よく言われる三英傑とポート酒


これは、ありえません。

何故なら彼らの生きた時代には

存在し得ないからです。


そして当時チンタと呼ばれていたのは

上記のどの強化ワインとも違うものでした。


現在でも飲むことが可能なチンタは

実はスペインで作られています。


これが当時のチンタである情報は

「1600-1650年における

オランダの酒貿易」(英語)

という本の中に見出すことができます。


もちろんこのチンタを飲めば

当時表現された「血のようなドロドロな」

という表現に納得するでしょう。


またポルトガルが来航していたから

ポルトガルワインという結論は

正直ただの素人結論です。


ポルトガル商人と来ていたのは

イエズス会であり

日本人なら誰もが知るイエズス会士と言えば

スペイン人のザビエルであることからも明白


因みにイエズス会と言えば

当時はシェリー酒かマディラ酒

というのが基本原則。


発生時期を見てもポートはあり得ず

チンタはまたポルトガル産にあらず。


詳しくはカウンターでお話しいたします(^^)