NHKドラマ「西郷どん」

の中のシェリー酒


第33話「糸の誓い」


今回は1862年の坂本龍馬の

寺田事件のシーンから始まります。



今回キーマンとして重要なのは

パークスという英国人。

拙著「Sherry」(志學社)の149pで
1867年のパークスと
シェリー酒について触れましたが
今回はその少し前の時代の話です。

補足ながらドラマとは関係ありませんが、
1862年は、函館奉行の竹内保徳率いる
文久遣欧使節が横浜から喜望峰を越え
マルセイユに入りナポレオン3世に謁見後
ロンドンで万国博覧会見学していた頃です。

横浜では既に多くの洋酒が輸入され
ジャパン・ヘラルド紙にも
多くの洋酒の広告があり、
牛鍋屋が開店し、氷屋も登場。


実はちょうど
英語のボトルの日本語に「瓶」や「壜」が
当てられた年でした。

他方、シェリー酒最大消費国の英国では
1861年に通商政策担当官グラッドストーンが
酒税法を大幅に緩和し、シェリー酒業界も
にわかに盛り上がっていた時代。

ドラマでも瓶詰めのビール、シャンパン、
そして「シェリー酒」が出てきますが、
当時の瓶ビールは「バス・ペール・エール」
だったそうです。

他にはマディラ、ポート、ブランデー、ジン、
ウイスキー、ラムなども入ってきていました。

シェリー酒の生産地スペインはどうかと言うと
もう少し前の1854年に
酒蔵と港を結ぶ鉄道が整備され、
酒蔵Bodegaの数は
900もあったと言われています。


当時、輸出量が多かったボデガは順に
ゴンサレス・デュボスク社
(現在のゴンサレス・バヤス社)
ペマルティン社
ガルベイ社
ドメック社
(現在はルスタウ社)
4位以下は現在はない会社です。


ドラマの中では
坂本龍馬が西郷どんにシェリー酒を勧め
西郷どんが『うまかぁ!』と
言っていたのが
印象的でした!!

因みにどんなタイプだったか?については
今後また出てきそうなので
その時に書ければと思いますw

注)もちろんこの話はドラマ上での話ですが
当時の史実から考えれば
十分にあり得る話ですよ(^^)


34話以降の歴史やパークスとの絡みも
非常に興味ありますね!

西洋風に用意されたディナーテーブルの設は
Sherry Museumのカウンターのようですね!