スパニッシュ・オーク?

アメリカン・オーク?


ウイスキー界の中で語れる二つの名前


これはS社やM社の説明が

そうしてきた部分が多々ありますが、


何度も書いて来てますが、

そしてこの件で

僕は一度もブレていませんが


シェリー酒そのものには

スパニッシュ・オークは

使いません。


この場合のスパニッシュ・オークとは

スペイン産および品種の意味でも同じです。


製樽を語る上で重要なのは

もちろんその材である「オーク」ですが、

オークは樽材である以前に

「造船に不可欠な材」でもあります。


つまり樽の歴史的背景を知るには

造船業を調べることに

その多くの答えを見出すことが出来ます。


確かにスペインの大航海時代の

幕開けとも言える

コロンブスの時代の船は

スペイン北部の

スパニッシュ・オークを用いていました。


事実コロンブスの乗っていた

サンタ・マリア号の

もとの名前がラ・ガレガ号

ガレガとはスペイン北西部ガリシアの名です。


それをアンダルシアの港で改造

キリスト教を伝えるという

ミッションもあったので

サンタ・マリア号と名付けられました。


それからしばらく数百年

スペイン北部が造船基地となった

のも事実です。



ところが

16世紀中頃に既に北部の
スパニッシュ・オークは枯渇しつつあり、
早くから北欧バルト海沿岸からの
ヨーロピアン・オークを入手しては
造船に充てていましたが、

スペイン王であった
カール五世(カルロス1世)が死去し
息子のフェリペ二世の時代になると
スペイン・カトリックと
現オランダ/ベルギーのプロテスタントとの
宗教的問題からオランダ独立戦争になり、

その結果、スペイン北部の造船業は
北欧のヨーロピアン・オークの
入手ルートを失うことになったのです。

そうなると
スパニッシュ・オークもない
ヨーロピアン・オークもないので、

スペインはもはや
アメリカン・オーク以外は
使えなくなるのです。

奇しくもそれによって発達した地域が
シェリー酒の産地で
アメリカ大陸との玄関口であった
サンルーカルや
交易都市であったセヴィリアとなり

シェリー酒の需要は
ますます重要なもの
となっていったのです。

事実サンルーカルやセヴィリアは
そういった背景の中での国策として
アメリカン・オーク製の造船基地として
また製樽産業の場としても
発展していったのです。


そしてアメリカン・オークだったからこそ
シェリー酒も進化、
18世紀にはソレラ・システムも生じ
19世紀初頭には
フィノ・シェリーも誕生しえたのです。

何故ならフィノを作るには
アメリカン・オークでなければ
ならないからです。


これ以上の詳しい話は
拙著「Sherry」(志学社)
をお読みください。
(題名は英語ですが中身は日本語です)
大手書店かAmazonで購入出来ます。

Sherry Museum 館長:中瀬航也
©️Kohya Nakase2018