カトリック
「ベネディクト派とお酒」


先日、シャンパンの
ドン・ペリニョンで有名な
「ベネディクト派」について
聞かれました。

日本で宗教の話はなかなか
盛り上がりづらい領域ですが、
一方で洋酒とキリスト教は
切っても切り離せない関係にあります。

さて、このベネディクト派とは
どんな宗派だったのか?
お酒に特化して書いてみたいと思います。


ベネディクト派とは5世紀にいた
ベネディクトクスが
529年にイタリアの
モンテカッシーノで創立した
カトリック最古の修道会です。

因みに人名であるベネディクトの原義は
「よく話す」という意味です。
あと、最近必ず聞かれる
エッグ・ベネディクトと
ベネディクト派は無関係ですw

さて、話を戻しますが、ベネディクト派は
黒の僧衣を着ていることから
「黒い修道士」とも言われ、
「祈れ!働け!」を
モットーとしていました

食事はパンと野菜が基本で
ワインは1日1本飲むことが
許されていました。

「病人の看護を最優先」
としていた彼らは、
「飢えた者には食事を、
乾いた者には水を…」与え、
1日に7回もミサ
讃美歌をしていました。

野菜に通じ、薬学にも通じていた彼らは、
9世紀には薬学と治療学をまとめた他、
外科治療の際の麻酔薬も研究、

8世紀には月経不順や
睡眠障害に効く薬として
ホップの栽培を開始、

11世紀から続くことでも知られる
ビール醸造所「ヴェイエンシュテファン」や
「ヴェルテンブルグ」もベネディクト派、

それまでビールの酸化防止剤として
用いてきた
グルートに変えて
「ホップ」を使うことを決め、
その使用法を研究した
女性修道院長ヒルデガルドも
ベネディクト派でした。
ヒルデガルドは
ドイツ薬草学の祖としても有名で、
キリストの身体であるパンは
小麦で作られるべき
としたのも彼女でした。

彼女が生きていた11世紀は、
イタリアのナポリに
「サレルノ医学学校」が創立され、
サレルノ学派という学者集団が
紀元前の「四体液理論」を
復活した時代でしたが、
彼女も四体液理論を支持しており、
TVゲーム世代なら誰でも知っている
「スライム」という言葉は
この時に「悪い体液」を指す
医学用語として用いられるように
なりました。

四体液理論に関しては、
ここで説明すると長くなるので
ネットや医学歴史書を
ご参照頂きたいのですが、
四体液理論でいう
不健康/病期の状態を健全な状態に戻すのに
有効とされていたのが
「スピリッツ」でしたが、

「スピリッツ」という言葉をつくったのも
ベネディクト派
その理論と知識と研究から生みだしたのが
元祖薬草リキュールである
「コーディアル」でした。
因みにコーディアルのコーとは
ラテン語で「心臓」を意味します。


因みに私は以前、
銀座コリドー街で
オジャリアBar de Ollariaというバルを
某社の依頼で企画オープン&
契約就労していたのですが、
この企画の根幹となった「オジャ」
という「鍋」は元来、
スペインのベネディクト修道院内で
行われていた
「銅製蒸留釜」の名前でもあり、
その影響でテキーラや
ピスコなどスペインの技術で生まれた
中南米・南米の「蒸留酒の蒸留釜」は
今でも「オジャOlla」と言います。


さてスペインと言えば、
今、僕が欲しくて手に入らないで困っている
スペイン産薬草リキュール
「アロメス」を造っているのも
ベネディクト派です。

sherry museum

このアロメスを造っている
モンセラート(ムンサラー)修道院は
スペインの北東バルセローナの郊外に
奇岩の上にそびえる修道院で、
「黒いマリア」や「聖歌隊」でも
有名な世界遺産です。

余談ですが、誰もが知っている
「ド・レ・ミ…」の基礎
「ウ・レ・ミ・ファ・ソ・ラ」」を
作ったのも
ベネディクト派の
グイード・ダレッツォでした。

さて、ベネディクト派と言えば
元祖ベネディクト派リキュール



「ベネディクティン」も
忘れてはなりませんね。
*注)現在は一般企業が製造販売しています。

ベネディクティンは
1510年にフランス北西ノルマンディの
ベネディクト派
修道士ドン・ベルナルドによって
考案されたもので、
ブランデーをベースに
蜂蜜の甘さを多くのハーブや香辛料
を用いて造られました。

フランスで広く活動していた
ベネディクト派は
フランス南部ラングドックでも活動、
サン・ティレール修道院では
ドン・ペリニョンよりも1世紀早い
1531年に発泡性ワインを
発見していたと云われています。

これには幾つかの理由があると思いますが、
何より発泡ワインに不可欠な「コルク」が
フランス南部に有利だった
ことが挙げられます。

さて、その1世紀後の1658年、
19歳だった「ドン・ペリニョン」が、
ベネディクト派修道士になります。
29歳になると、
彼は酒庫係に任命されるのですが、
フランスではまだ良質のガラスボトルの
製造が行われていませんでした。

その為、彼らはイングランド製の
良質な瓶(当時は約850ml)をリクエスト、
さらに彼はジャン兄弟から聞き及んだ
スペインのコルクと加糖技術を取り入れた
ワイン醸造に取り組みます。


1/10税で徴収された質の
安定しない葡萄を原料に
それまでカトリックで
一種タブー視されていたブレンドを研究。
1673年にはトマと呼ばれる
500樽収納可能な熟成庫を完成させ、
それまで難しかった
ワインを澄んだ状態にする方法も生み出し、

Champagne Dom Perignon

1680年代に現在で言われる
発泡性のシャンパンを完成させました。


・・・最後に・・・

このブログ上部のマークは
1647年頃にデザインされ、
聖ベネディクト生誕1400周年を祝って
1880年に
教皇ベネディクト十四世によって
メダル化したものですが、

中でも興味深いのは、
十字架横文字のNDSMDで、

これは「龍をわが守りとさせじ」
という意味で、
龍とは、
彼らが研究してきた
蒸留技術の象徴とも取れ、

さらに外円左側のSMQLIVBは
「汝の差し出す飲料は邪悪にして、
その毒を汝自身が飲み干さん。」
という意味で、
これは十字架の印によって
祝福されたとき砕け、
中からへびが出たというもので、
このメダルを所有することで、
毒から逃れられるお守りとされています。



表面の左下には、
それが酒杯から逃げ出る蛇として
描かれています。

因みに、十字架というと
=キリスト教のイメージが強すぎますが、
元来、十字架は
キリスト教成立以前の紀元前から
四元素や四体液を表し

当時からの医学イメージであった
・悪いものを取り除く:キュア
・中心に戻す:メディシン
・癒し回復させる:ヒーリング/テラピー
を表し、

後にその中心となる
フィフス・エレメントとして
イエス・キリストがその象徴として
宗教化したのがキリスト教でした。

なので、キリスト教の本来あるべき解釈は、
イエス・キリストを
偶像として崇拝する宗教ではなく、
イエス・キリストを象徴として発達した、
医学や哲学(後の化学)なのです。

そして、常に
その中心にあったのが
お酒だったのです!

<追記>
スペインにはワインで有名な
リオハにもヴァルヴァネラという
ベネディクト派修道院リキュールも
あります。