$Sherry Museum館長[中瀬航也]のオフィシャル・ブログ-sherry
オズボーンにて。撮影:中瀬

何気に見ているアクセス解析に
また「シェリー樽」の文字が少し増えたので、
気になって最近の世の中の記事を検索したら
ある記事が目に留まった…

それが何かはここでは書かないが、
その中で触れられている部分に関して
少し思うところがあったので、
だらだら書いてみる…

***

「ヨーロピアン・オーク」
その存在の事実はイイとして、

シェリーでは
ヨーロピアン・オークは用いない。

シェリー、
シェリー・ブランデー共に
アメリカン・オークしか用いない。

注)近年、極一部、意図的にフレンチオークを使う
ブランデー・メーカーはあるが…


ウイスキーに好まれるという
ヨーロピアン・オーク樽由来の成分は
シェリーには向かないとされてきたからだ。

新大陸発見以後の交易移行、
シェリーは今でもアメリカン・オークに拘っている。

有名なシェリーの文献にも、
1807年の記録として以下の文章が参照されている。

「米産、北米産、伊産、そして最後に西産を用いる。
…米産オークは…緻密で…孔がないため…もれがない。」

補足として、よくヨーロピアン・オークの産地として挙げられる
ガリシアには樽熟成のオルーホ(滓取りブランデー)があるが、
彼らは目の前の生えているヨーロピアン・オークではなく、
アメリカン・オークを用いている。
それは彼らの求める味わいでないからだ…

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乾燥を待つアメリカン・オーク。ウエルバにて。撮影:中瀬


次のウイスキーにおけるシェリー樽の利用が1850年代から…
というのは、どこか可笑しい話では?と思う…

まず英国がシェリーそのものを飲むきっかけは、
百年戦争以後の需要から始まり、

英国内におけるシェリー飲料の重要度は、
16世紀初頭のヘンリー八世による国営のシェリー輸入会社が立ちあげや、
16世紀末期の海賊ドレークの略奪や、
17世紀初頭にはシェイクスピアの作品に多く登場することからも、
明らかである。

さらに、ウイスキーサイドからの可能性としては、
17世紀中頃のアクアヴィテに対する課税や、
18世紀初頭の麦芽税の登場によって、
「密造者達がシェリー樽に貯蔵した話」は、
むしろスコッチのメーカーが好んで使ってきた話し
だったはずである。

いわんやザ・グレンリベット以降の公認蒸留所が1820代以降増加し、
記録として、公の認識としてのシェリー樽熟成の記録が、
1850年代だった…としたのかもしれないが、
これまでの主張とはいささかギャップのある話である。

因みにシェリー樽での世界周航がウリとされてきた
キングス・ランサムの話しは1840代に始まった話しだそうだが…

1850年自体に強い意味はないと思うが、
個人的には密造者達が用いてきた説を支持したい。

***

さらに「1860年代になると直接調達した…」
つづく「樽輸送の時代はとっくに終わっているが…」という話し…
これはどういう意味だろうか?

歴史的、経済的観点から見ても、
直接、空樽を入れることにどれだけのメリットがあったのか?
仮に空樽ではなく、中身が入ったままだとしたら、
スコッチ・ウイスキー・メーカー・ラベルのシェリーが
何故スコットランド内で瓶詰め販売されなかったのか?
そんな話は聞いたことがない…

やはりこれまで言われてきた通り、
英国内に輸入され、空樽となったものを
安価に確保してきたとする方が、自然ではないのか?

企業間的な話しで提携的なものがあった可能性もあるが、
いずれにせよ、コストの面で考えると、
この直接調達という話には、
なんらメリットを感じ得ないが、どうだろうか?

また、少なくとも1986年までは国際法上では、
シェリーは樽のまま英国に輸出することは可能だったはずだし、
細かいシェリー樽表記が増え始めたのは、
その1986年から数えてオフィシャルに多い12年物が出回る、
1998年頃だったと記憶しているが…

そもそも各々のウイスキー・ラバーの味の好みはさておき、
シェリー樽熟成の「らしさ」を語る際に話題になるのは、
1960-1970年代蒸留のものではないだろうか?

確かにその時代のシェリー樽表記のものは色が濃い物が多いが、
それはシェリー・サイドから言わせて頂くなら、
シェリーそのもの流行りが濃かったからだ。

別の言い方をするなら、戦争と不買運動の影響で、
結果的に長期熟成を果たした濃いシェリーが
当時英国で出回っていた為なのだ。

そして、その「色」に特化するなら、
それを再現するのに、
ヨーロピアン・オークが向いていたのは事実だとしても、

そこに1960-1970年代のにあったような、
「シェリーそのもののニュアンス」があるのか?
ということが疑問であるし、

樽の確保が難しいという現状と観点から、
ヨーロピアン・オークで半ば
無理くり辻褄合わせをしている/きたかのようにも見えるが、
どうなのだろうか?

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250ℓのメディア樽。バルバディージョにて。撮影:中瀬


ヨーロピアン・オークによる熟成が濃い色がでるのは
S社の技術者にも詳しくは聞かせて頂いたのでそうだと思う。
ところが、その要因は、
シェリーそのものにおいてはネガティブに働く。

つまり、
スコッチにおいてのヨーロピアン・オークの優位性も事実である一方、
シェリー醸造におけるヨーロピアン・オークのリスクもまた事実なのだ。

重ねて書くが、
19世紀中頃にフィノが流行って以降、
この100年彼らが目標として造ろうと努力してきたのはフィノだ。
今さらだが、フィノとは英語のファインという意味である。

フィノの流行は別の世界的かつ大きな要因で起こったものだが、
19世紀後半の半世紀は、正にフィノの最発達期だったと言える。

より広い意味では1930年代以降、その流行は顕著となり、
フィノをいかに効率的に造るかというのがボデガ(シェリー蔵)の
共通した大きな課題だったし、研究といえばそれが主だった。

それは、それを真似しようと躍起になった米国の大学や
オーストラリア、南アの研究書などからも見てとれる。

そして、このフィノはヨーロピアン・オークでは造れないのだ。
しかも、シェリーにおけるフィノ樽は全てドライ・オロロソの空樽である。
それは、タンニンがフロール形成の阻害物質だからなのである。

つまり、オロロソ系にヨーロピアン・オークが用いられてきた…
様な話は、フィノ製造を前提とした蔵のプランニングでは、
考えづらい話なのだ…

***

ここで書いた話しは、このブログ上でも
何度か重ねて書いてきた話だが、
どうも、この手の話しは、
シェリーそのものを、どこか無視したところで
話がまとめられているような気がするの残念な話しだ…

恐らく昨今のバーテンダーの方々は、
ウイスキーの試飲経験軸をもちながら、
シェリーそのものも扱うようになり、
こういった記事から生じる疑問を
お感じになっているのではないだろうか…

もちろん、ウイスキー試飲経験が
豊富とは言えない僕の主張に
疑問を感じる方がいても可笑しいことでないない。

大事なのは、誰が正しいか?ではなく、
各々の考えと経験で検証してみる、
比較検討してみる、そしてそれを楽しむことだと思う…

ここに書いたのはあくまでも
シェリー専門家としての個人的意見である。