$Sherry Museum館長[中瀬航也]のオフィシャル・ブログ-book

いよいよロンドン・オリンピックが迫ってきましたネ!

去年はウィリアム王子とキャサリン妃の結婚に沸き、
今年の英国はエリザベス女王の即位60周年を祝うなど、
話題が多い英国ですが・・・

オリンピックに合わせて
英国産のワインの話題も少~しだけ出てきました…

でも
イギリス/英国産ワインって・・・
そもそも葡萄出来るの?・・・
なんて言われますが、

実は英国のワインの歴史って古いんです。

確かに北緯50度を超えた地域にある英国は、
決して葡萄栽培に向いた気候風土ではありません。
しかしながら現在のヨークがある54度近郊までは
葡萄の栽培は行われてきました。

言うならば、この54度が英国内における
ワイン文化圏とエール文化圏の一つの境界線になりますね…

*****

時は1世紀頃、カエサル軍のブリタニア*遠征以降、
葡萄栽培やワイン醸造が行われようとしていました…
*現在の英国

ところが1世紀末…
ドミティアヌス帝が様々な理由から発した禁令によって
ブリタニアでの葡萄栽培は発達の機会を失います…

しかし3世紀頃…
ローマ皇帝になったプロブス帝が先の禁令を廃止したことで、
再びブリタニアでの葡萄栽培はようやく復活しはじめ、
ロンドン近郊やロンドンの東エセックス近郊では
葡萄畑が次第に増えて行きます!

その間、ローマ軍の撤退やゲルマンの侵略があり…

再び5世紀頃からキリスト教の宣教師らによって、
葡萄栽培、ワイン醸造は少しづつ発達、
ケルト系の土着宗教と混じりあいながらキリスト教圏も拡大。

そしてバイキング襲来が続く9世紀…
王となったアルフレッドによって、
葡萄栽培の推奨とキリスト教化が進みます。

10世紀には需要を賄いきれず、
フランスから徐々にワインを購入しはじめ、
税を確定していく意味でも様々な単位を法で決めるようになります…

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(この本は主に輸入ワインについての報告が多い)

大きな転機は11世紀…
かのノルマン・コンケストでした!
大陸からワインの味を知った人々が移り住んできたことにより、
葡萄栽培とワイン醸造は今まで以上に発達していきます。

但し庶民は英語でしたが
移住してきた王族や上流階級はフランス語でした…

故、牛はカウ(英語)なのに、
調理するとブフ/ビーフ(仏語)になるんですね…w

話を戻して…

11世紀末には…
45箇所もの葡萄畑が知られていました。

そして12世紀…
プランタジネット朝の時代に、
現在のロワール河近郊からガスコーニュ近郊が
イングランド*の領土となり、
造船業と港の整備の発達に伴って次第に輸入量も増加…
*現在の英国南部

もはやイングランドにおけるワインは
輸入に依存した形へと変化…

12世紀末には…
今のヌーボーとは造りが違うものの、
Xmas前にボルドー産(仏)のワインを飲むのが
一種のステイタスとなります…
注:この時代、メドックはありませんし、主として白ワインです。

ところが、彼らにとってのワイン産地はフランスも欲しいところ…

13世紀には…
ルイ13世によって一部奪取されてしまいます。
ところが、イングランドの需要に依存していたボルドーは
イングランド側につき以後も輸出を強化…
塩などの重要貿易品と共に益々発達していきます。

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まだまだ話は面白いんですが・・・
そろそろ出勤です・・・

ということで…つづく・・・

続きが気になる方は
Sherry Museumのカウンターでお待ちしております。

注:なお出勤に関しましてはブログ内出勤表をご参照のこと。

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©KOHYA NAKASE 2012

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