$Sherry Museum館長[中瀬航也]のオフィシャル・ブログ-木下杢太郎
(Photo by Wikipedia)

明治を代表する詩人に
【木下杢太郎】
がいる。

静岡県出身の東大医学部卒。
詩人で劇作家、医学者でありキリシタン研究者でもあった杢太郎は、
新詩社「明星」「スバル」などに異国趣味豊かな作品を発表。

1908年には北原白秋らとパンの会*を結成。
1929年「えすぱにや・ぽるつがる日記」
1943年「日本吉利支丹史鈔」の他、
「少年の死」「すかんぽ」「南蛮寺門前」
「パンの会の回想」「海郷風物記」
「北原白秋氏の肖像」などを著した。

酒が好きで、当時、日本橋小網町隅田川近くにあった
バー「鴻の巣」に足しげく通った彼は、
「タンブラ」を「無足杯」、
「カクテルグラス」を「鶏尾杯」とするなど、
カタカナの洋酒や道具を漢字化した事でも有名。

そんな杢太郎が、1911年に詠んだ
シェリー酒の詩が、
【該里酒:クウバの旅にて】

【該里酒:鴻の巣の主人に】
である。



1911年といえば、
日本にはまだ車が200数台しかなく、
東京銀座ではカフェ・プランタンや
カフェ・ライオン(精養軒)がOPENした頃…


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パンの会*のメンバーだった
「永井荷風」もシェリー酒が好きで、
彼の著書にもマンサニージャ等が出てくる…

*注:パンの会とは、食べるパンの会ではない、
パニックの語源の方のパンである…