このときは妹が産まれる前の月で、継母は切迫早産で入院していたので学校終わったらすぐにバスで祖母の家(後に20歳から15年住むことになるが)に行っていた。その祖母の家でTVを観ていたら衝撃的な火砕流の映像が飛び込んできて、子どもながらに言葉を失っていた。同じ県で起きてる出来事が信じられなかった。


その数日後、父が島原出張で大丈夫だろうかと心配だったが無事帰ってこれて、噴石を持ち帰ってきた。現場の惨状はTVでしか観ることができないが、これが現実なんだなと思った。


当時の島原市長も在任期間を全うするまで髭を伸ばしてらっしゃって、それも印象的だった。そしてこの普賢岳が落ち着くまで大変だったことだと思う。


そしてその3年後、家族で近くまでドライブに行った自分がいた。3年前には入ることができなかったであろう場所にいる自分に驚いてたし、何より当時は完全ではなかっただろうけどここまで復興できたのは人々の祈りが通じたのかなと信じたい気持ちだった。雲仙・普賢岳 大火砕流から32年 43人犠牲「語り継がなければ」(テレビ朝日系(ANN)) https://news.yahoo.co.jp/articles/f8ca0e893320fc6024b8b143821dcdb02fd74f1

実母は40年前に離婚し、私は父に引き取られたため、物心つくかつかないかのときだったのでそれきり会ってないのもあり、全く知りません。


大人になってから父や伯母からいろいろと話を聞いたけど、良くないことしかありませんでした。


ところが以前にも書いたと思うけど、偶然受けた占いの先生から話を聞き、自分の中で点と線がつながって決して実母が全て悪い訳ではなかったことと、特に伯母の方が私が実母を恋しがらないようにするためか、悪い嘘で固めていたこともわかりました。最も両親の離婚の原因や実母の件に触れるのはずっとタブーとされていたから。


本当なら直接会って言いたいところだが、ママ(あえて実母のことを私の中ではこう呼んでる。継母はお母さんで。一応。)、あなたと別れて40年、私も人生いろいろあったけど、産んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日、仕事で白衣デビューしました。


医薬品のことは聞かれなかったけど、場所を聞かれたので資格者の方に確認しながらご案内しました。


そしてほっこりな一幕が。


レジをやってたら小さな男の子がお菓子を持って並んでて、お会計終わったら「ありがとう」と言ってハイタッチしてくれました照れ可愛かったなぁ。


それと今日は市内では小学校の卒業式で、卒業式帰りの親子が数組いてその中の一組が体格がいい男の子で、なんだかオッサンみたいでしたびっくりまぁ、高学年となればそんな子もいるよなぁとしみじみ。


今日白衣および登録販売者デビューで、自分にお疲れ様の意味で男梅サワーで晩酌しましたロゼワイン


来週は勉強会デビューなので予習もせねばだダッシュ