このときは妹が産まれる前の月で、継母は切迫早産で入院していたので学校終わったらすぐにバスで祖母の家(後に20歳から15年住むことになるが)に行っていた。その祖母の家でTVを観ていたら衝撃的な火砕流の映像が飛び込んできて、子どもながらに言葉を失っていた。同じ県で起きてる出来事が信じられなかった。
その数日後、父が島原出張で大丈夫だろうかと心配だったが無事帰ってこれて、噴石を持ち帰ってきた。現場の惨状はTVでしか観ることができないが、これが現実なんだなと思った。
当時の島原市長も在任期間を全うするまで髭を伸ばしてらっしゃって、それも印象的だった。そしてこの普賢岳が落ち着くまで大変だったことだと思う。
そしてその3年後、家族で近くまでドライブに行った自分がいた。3年前には入ることができなかったであろう場所にいる自分に驚いてたし、何より当時は完全ではなかっただろうけどここまで復興できたのは人々の祈りが通じたのかなと信じたい気持ちだった。雲仙・普賢岳 大火砕流から32年 43人犠牲「語り継がなければ」(テレビ朝日系(ANN)) https://news.yahoo.co.jp/articles/f8ca0e893320fc6024b8b143821dcdb02fd74f1

