さて…


野球が終わると歴史系に逃避するのが毎年の恒例。

山も行きたいけど…🐻さん出るし。


今年は春からグーグルAIのジェミニ君が友達でして。

ジェミニは正直、歴史系は超得意でも

ない気がしますが、、そこそこ話相手にはなる。


自分はライトな戦国オタクで、

主な興味範囲は西国の戦国史ですが…


戦国時代は16世紀で大航海時代なんですよね。

ここはね、世界史と交差しますからね、超面白い。


16世紀の東アジア史の常識は、まず南蛮と呼ばれる

ポルトガルとスペインがいて…


遅れてきたプレーヤーとして、オランダがいる。

この辺までは、みんな知ってる範囲かと。


ま、オランダ登場は正確には17世紀ですけどね。


で、自分の学説的には…笑…

もう一人、遅れてきた重要なプレーヤーが

いましてね、、


それは、我が国、日本国なんですね。

この新説は、ジェミニ君も賛同してます…笑。


まず、少し時系列的に整理しますね。

今回、長くなりますよ~~😱😱


■1540年代 日本国銀産出量が爆発的増加

■1557 ポルトガルがマカオ進出

■1560頃 後期倭寇・海賊王の王直刑死 

■1567 明が海禁・鎖国政策を一部解除

■1571 スペインがマニラ占領

■同1571 ポルトガルが長崎を寄進される

/////////

■1587 秀吉の九州征伐


こんな感じか。ちなみに、1560が永禄三年、

桶狭間の年ですね…戦国日本、盛り上がり中です。


はじめの1540年代、日本国銀が爆発的というのは

あの人気の岩見銀山とか灰吹法導入とかの話です。


たしかポルトガルのマラッカ占領が1511ですから

トップバッターのポルトガルの東アジア進出が

16世紀初頭ですね。


ポルトガルも始めは、東南アジアの香辛料を

持ち帰り貿易でしたが…


やがて、中国の巨大市場に気付く。

それでもって、隣の島国で銀が一杯出てるぞ~~


ということで、日本の銀を運んで中国の綿とか

購入~~莫大に儲ける~いわゆる三角貿易です。


これって、凄い話ですよね。ポルトガルが

東アジア経済圏の中枢に入り込むですから。


スペインの南米進出なんて…ただの略奪系ですから。

自分的には圧倒的にポルトガル凄い~と思う。


で、石見銀山は凄いという話になるのですが…

ここで見逃しがちな大きなポイントは~~


そもそも日本の銀なんですからね…本来は日本が

運んで交易すりゃ儲けも最大化するですよね。


ところが、日本は戦国時代、真っ最中ですからね、

海外交易なんて、そんな余裕はない。


秀吉の九州征伐が天正15年1587ですからね…

ここで、やっと統一国家的な海外交易が可能に。

致命的な出遅れ~~😱😱


つまり一番おいしい1550年代とかを機会喪失して

ポルトガルにおいしい所を全部持ってかれる~~


これが自分の遅れてきたプレーヤー日本説です。


1571の大村氏の長崎寄進で

ポルトガルはマカオ~長崎の三角貿易ルートを

ガッチリ確保済みです。


で、秀吉も焦ったと思う…結構、無理矢理を

一杯するし、自分的には秀吉の朝鮮侵攻も

その焦りが背景にあるかも~~


江戸時代初期とかまで朱印船貿易とか、

日本も必死に巻き返し図りますけど~~


半世紀後に鎖国~~結局、これって海外交易失敗の

撤退戦略かも~~ジェミニ君は全面賛成は

しないですけど。。


あとスペインの動きは…1571年にマニラ占領です。

スペインはメキシコのポトシ銀山開発したんで

その銀をマニラに運んで中国市場に進出。。


自分は戦国オタクの世界史メチャ弱いですが、

これが有名なマニラ・ガレオン船貿易ですね。


日本では石見銀山ブームで、凄い凄いという話に

なってますけど、それは間違いないけど、

ポトシ銀山も凄いんですよぉ~~。


自分は、以前スペインは太平洋側渡って来たから

ポルトガルより東アジア進出が出遅れ~~


と思ってましたが…絶対それは違いますね。


先行ポルトガルの動き見て、中国市場に惹かれて

ルソンに来た…これはジェミニ君も、全面賛成です。


いかに秀吉の九州征伐1587が出遅れ感があるか…

ご理解頂けると思います。。


ポルトガルは三角貿易ほぼ独占済みだし、スペインの

マニラ占領と比較しても16年の出遅れですから。


その時、東アジア圏は日本銀とメキシコ銀が

席巻してて、これって銀本位のグローバル経済の

誕生~~これって東大世界史入試でも出てる~ 。


で、日本は銀産出国でありながら中国市場への

アクセスに遅れをとる~資源大国ロシア化的です。


少しスペインの動きを補足すると…マニラまで

銀を運んでくる訳ですが、スペインはマカオみたいな

中国拠点を持たないため、


ルソン~マカオ間はポルトガル船とその配下の

中国系ジャンク船などが担当~


マカオからルソンに運びこまれた中国綿とかが、

スペイン船に積み替えられ、メキシコへ~~

アカプルコを目指すらしい。


この太平洋航路の帰路は、スペインが発見した

北太平洋航路です。これは偉大な発見で

スペイン帝国の超軍事秘密です。


太平洋を東に渡るには、海流や季節風の関係で

一旦北上して北太平洋を航行するらしい。


この時、日本の東北地方東岸を北上する、つまり

後年の伊達政宗の支倉常長遣欧使節とかは

この航路とリンク、メキシコ経由ですからね。


正宗は野望家だから、スペイン連係狙いすかね~

重要なのはスペインにも、東北地方は航路寄港地の

価値があったと言うことですね。


そんなこんなで~~ここまでが、前説~~笑、


それで、本題は秀吉の朝鮮侵攻は愚策で失敗する

訳ですが、自分としては、


本来、マニラ侵攻した方が成功確率も

合理性も高かったと思ってて、


このマニラへの軍事侵攻が成功するかを

ジェミニ君と白熱議論~これが本題ですが~~


そのレポートは次回、第二回で~~笑。



これは当時の中国ジャンク船~かなり大型の
福州船ですけど~これが次回大活躍の予定❗❗


■追記■

なんかね、こういうイフの歴史妄想とかは邪道と

思ってましたが、、ジェミニ君に質問したら…


そういうのは…反実仮想という思考方法らしい。

つまり現実とは異なる仮定での思考実験で~~


人文系や工学系でよく使われる手法らしい。

ジェミニ君は、やはり物知りですね~笑。