さて…


グーグルAIのジェミニ君と検証する

秀吉のマニラ占領の可能性~反実仮想の世界です。


■前回記事はコチラ


【前回あらすじ】前回は当時の東アジア分析で。

要は日本が東アジア進出に極めて出遅れた~~😱


秀吉の九州征伐が1587年でして…

この時に日本が国レベルで東アジア進出が可能に。


対して、オランダは1557年にマカオ進出で

1771年に長崎が開港~日本銀と中国生糸などの

三角貿易ルートを確立。


スペインは1771マニラ占領。メキシコのポトシ銀を

運んできて、マニラ・ガレオン船貿易開始。


出遅れ感~~ハンパなし~~😱😱😱


秀吉の焦りが朝鮮侵攻大失敗の背景のひとつ

とも思え、ただ自分的には…


マニラ占領なら可能性あったと思えて、

この軍事作戦をジェミニ君と検証です~~🌊🌊


■当時のマニラ・スペインの防衛人数は❓❓


ジェミニ君によると、300~400人程度。

現地傭兵いれて千人規模。マニラ要塞の話です。


なんだぁ~~チョロいじゃないすか~~


戦国乱世百年の日本武士を、一万人規模送り込めば

制圧なんてカンタンそう~~


■スペイン占領の出口戦略、戦略ゴールは❓❓


そう、軍事作戦より出口戦略をまず先に。

自分の考える出口戦略は…


マニラを短期制圧。スペインのガレオン船貿易は

排除しない。関税をかけるとか…これはマニラに

来るポルトガル&中国船も同様。


第二ステップはマニラに後年の山田長政的な人々を

大量移民させ、マニラを東アジア進出のハブ化。

この大量移民はポルトガル・スペインは不可能。


ちなみにスペインのマニラ・ガレオン船貿易は

マニラ~メキシコ 間で、中国市場アクセスのための

マニラ~マカオ間はポルトガル船とか中国船が

担当してたみたいですね。


この出口戦略は…ジェミニ君も一定の

合理性を認めてくれました。


しかし、肝心の軍事作戦がぁ~~~😱😱


■日本のシーパワー欠如は決定的。まずムリ❗❗


これがジェミニ君の解答。

そうなんですよね~~


実際の朝鮮侵攻は1592~98年の足かけ七年、

最大15万人規模を派兵して大失敗。

ちなみに、当時日本人口約一千万人すから😱😱😱


失敗の理由は色々あるけど、そのひとつは

シーパワー欠如。日本~朝鮮間の制海権確保すら

覚束ずでした。


当時の那覇~マニラ航海が二~三週間。

この外洋航海で一万人規模の兵力運ぶ外征成功は

当時日本はほぼ不可能、これがジェミニ君の分析。


そもそも、日本の和船は堅牢性に乏しく

外洋航海に不向きなんですよね。


日本が西洋ガレオン船船団を早期に建造する

なんて不可能ですからね。


それで、 自分の解答がコレ↓


中国のジャンク船です。
これを大量建造すれば…

後期倭寇てのが、いましたよね。その全盛期の
1550年代、海賊王・王直率いる後期倭寇は
このジャンク船で東アジアの海を走り回ってた。

その規模は船団何百隻で配下一万人規模とか。
凄いですね~。

造船技術とか難しいですが、西洋式船舶は
竜骨という設計思想で堅牢性確保。

ジャンク船の設計思想は隔壁構造です。船内を壁で
仕切って、この横壁で堅牢性確保。

■日本でジャンク船の大量建造は可能だったか❓

ジェミニ君の解答は可能…実際に当時の琉球では
ジャンク船製造中。マーラン船という奴ですね。

つまり…ジャンク船製造の技術的障壁は低い。
そもそも、後の朱印船とか相当ジャンク船技術を
取り入れてるとか。

日本の戦国百年の火縄銃普及スピード、製造能力は
ハンパないですよね、これをジャンク船製造に
全振りする訳です。

ちなみに、ジャンク船は標準的には
明式の大砲も搭載してます。

対する西洋式ガレオン船軍団のイメージ↓

フィリピン沖で艦隊決戦したらジャンク船船団も

勝ち目はほぼ無さそうですが…牽制陽動出来れば

O.K.ですからね。


本命は…奇襲上陸作戦ですから~~。


ジェミニ君の分析では…一万人規模のマニラ遠征に

必要なジャンク船団は最低二百隻、その建造期間は

当時の日本なら約二年で可能とか。


あまりに計算早く…半信半疑ですが…笑。


■船があるだけじゃダメ❗運用能力は❓


次のジェミニ君の課題が上記の問い。

なかなか、鋭いですね~~。


そもそも軍事は、兵器とかテクノロジーとかだけの

問題ではないです。運用つまりソフト面も大事。


ここで言えば、外洋航海ノウハウとか、そもそも

外洋に対する知見、さらに敵への情報収集能力…


ただ自分もミリタリーオタクの端くれすから…笑。


解は用意してますよ…それは先ほど少し触れた

後期倭寇勢力の活用です。


そもそも16世紀前半のポルトガル東アジア進出も

後期倭寇と連携というか、つるんでた。


明が策禁策で中国にポルトガルはアクセス出来ず

後期倭寇と連携するしかなかった。


たとえば1543の火縄銃の種子島伝来ですが

ポルトガル人が伝えた訳ですが、彼等は王直の

ジャンク船に乗って種子島に来た。


その後の変化を年表風にすると…

■1557 ポルトガルがマカオ進出

■1560頃 後期倭寇の海賊王・王直が刑刑

■1567 明が海禁策一部解除


1557ポルトガルのポルトガルのマカオ進出は

武力占領ではないです、明に居留地として

認めさせる。


そのために、ポルトガルは明の後期倭寇征伐とか

にも協力してます…あとは多分、大量賄賂かと。

ポルトガルって、凄まじくクレーバーなんすよね。


王直刑死は…明に騙されて~~、海賊の罪許すから

海外交易してくれ~~この、よくある甘言に釣られて

出頭して死刑。


王直死刑で後期倭寇の勢力減退ですが、

1560当時、その残存勢力はまだ強大で日本の平戸や

五島列島にもいました。


彼等が、その後、どうなったかは興味深く

色々調べてますが…自分の推論としては…


最終的にはポルトガルに系列化された気がして。

海禁策緩和されたら、倭寇の存在意義ないし。


話が長くなりましたが…この後期倭寇の残存勢力の

一部をマニラ占領に起用する訳です。


ジェミニ君の解答は…可能性ありとのこと。


ジェミニ君解説は、彼等はポルトガルでも日本でも

メリットあれば誰とでも組む。ですよね~~


彼等を取り込めば、外洋航海能力も東アジアの

海洋世界に対する知見、造船技術も獲得可能に。


こういう事例は世界史的にはよくある話でして。

オスマントルコは陸軍大国ですが、北アフリカの

海賊大量リクルートして海軍整備を短期実現~


ここまで討議して…ジェミニ君に秀吉マニラ占領の

 一定の合理性及び実現性を認めさせましたぁ~

🌊🌊🌊🎉🎉🎉~~


ここから、周辺環境をジェミニ君と討議~~


■その時、ポルトガルはどう動くか❓❓


これはマカオのポルトガル勢力です。

結構、難問でして…当時のポルトガルとスペインは 

一応、同じ国なんですよね。


同君連合というのか、スペイン国王が

ポルトガル国王も兼任、1880から60年間です。


ジェミニ君との議論では…ポルトガル静観の可能性も

高し…同じ国ではあるが、東アジアでは両国は

結構、競合関係。


さらに、ポルトガルは日本銀にかなり依存してる

から、この権益に日本が手をつけない条件で

ポルトガルは静観する可能性もかなり高いと。


■マニラ占領でスペイン東アジアから撤退しない❓


そう、撤退されては困るですよね…スペインは

メキシコ銀を運んできてもらわないと~~😓。


しかし、これは撤退しないで意見一致。

マニラ・ガレオン船貿易って、二百年以上継続。

スペイン帝国の富の源泉ですからね。


多少、関税払っても、継続するはず。あとは

関税率の調整とか、トランプみたいにやれば…笑。

 あとマニラにスペイン居住地認めても良いし。


これにて~~マニラ占領計画、考察終了。

🌊🌊🌊🎉🎉~~。


ところが…ここで驚くべきことが~~😲😲

ジェミニ君が秀吉マニラ占領後の仮想世界の続きを

予想しましょうか、と言いだしたぁ~~


その予想世界紹介は、次回03にて予定~~🌊~笑。


【おまけ■マトメと言いますか~~】


実際の朝鮮侵攻がおこなれた1590年代は

マニラ占領の絶妙のタイミングでしたぁ~~


◆1588年…この年、本国スペイン無敵艦隊が英艦隊に

 負ける~~トホホ。

◆1606年…マニラのイントラムロス要塞が完成。

  90年代は建造中で、まだ脆弱性あったかも。


イントラムロス要塞の歴史をwikiで読んでたら

この要塞は何回も後期倭寇の襲撃にあってますね。


最大の危機は1574年に林鳳が攻めて来た時に、

マニラは陥落寸前になったとか~~


その時、ジャンク船船団は70隻規模で兵力4000弱。

マニラ要塞の防衛能力なんてその程度なんですね。


ちなみに四千人軍団に数百の日本人がいて

副将は日本人だったとか、です。


結局、一番思うことは、秀吉は東アジア進出、

東アジア世界の再編を考えていたと思うのです。

日本の東アジア進出の出遅れを取り戻そうと…。


しかし、そのためには朝鮮侵攻でもマニラ侵攻でも

ともかく日本シーパワーの拡充はマストかと~。


進出成功しても、維持するために絶対必要かと。

そのへん、どう考えていたのかなぁ~~。


結局、根本的課題を先送りしては、

ダメということか~~教訓なのでした~~。