さて…


ライオンズ野球のない安息日が続くです。


なんか…アギラーは負傷抹消とか。

帰国~帰ってこず~の可能性もある気が。


そんなこんなで、歴史小説に逃避です。



上田秀人の天主信長・読了。


星の数ほどある、本能寺の謎スペシャルですが、

オモシロかったです。


奇想天外、超過激な説でして…唖然としました。


ネタバレは書きませんが、ヒントとしては

信長は最後は神になろうとしてたと言われてて。


コレはよく言われてますが、それを超拡大解釈して

膨らました内容…キーマンは黒田官兵衛です。

スゴイ話かと~~、、


ケチをつければ、その奇想天外なのは

ラスト二割位でして、そこまでは普通というか

いたって月並みという感じで…


ただ、最後を立たせるために、あえてそこまでは

普通にしてるのかも…ですね。ひょっとして、

ラストを先に書いて、前を足したのかも、とか。


さて、数ある本能寺新説系ですが、

最近よくあったのは、実はあれは家康暗殺狙いで…


ソレを命じられた光秀が裏切り

信長を殺っちまったと いう説。


巨匠・伊東潤とかも、その手の小説書いてます。


根拠としては、武田滅亡で家康は不要になったという

考え方でして、、あくまで状況証拠的ですが、


結構、魅力的な気もしますが、個人的には否定的す。


タイミングとして、天正十年の本能寺の時には

毛利&長宗我部の同時殲滅を企画してた訳で…


そのタイミングで家康は殺せんでしょう~~、

殺すことはあっても、もっと落ち着いてからか…笑。


やっぱり妥当な線としては、本能寺が全く手薄で

有力武将が京都付近に不在で…

突発的に光秀が殺ったという、線かと。。


根拠としては、その状況は光秀が意図的に

作れるものではなく、たまたまのチャンス到来…。


ただ光秀の動機として、最近、 感心してるのは

歴史学者の藤田達生氏とかが、言ってる説でして


これは石谷家文書発見以降の長宗我部黒幕説と

ちと似てますが、、


本能寺の二年前、天正八年段階で毛利と和睦する

流れがあったとかで、これを推進してたのが光秀。


結構、一次史料とかがあるらしいです。


天正八年と言えば、本願寺との和睦実現の年すから

コレとセットで進んでいたのかもしれませんね。


で、この流れを粉砕したのが秀吉。

秀吉は自分の立場からも、毛利殲滅派だった、、


結局、光秀が敗北して、秀吉路線となる。

派閥抗争で敗北した光秀が本能寺へと突き進む。


藤田先生は信長が光秀を裏切ったという風に

書いてましたね。。


まあ、これはしかし、サラリーマン的に言うと…


やり手の社長とか、優秀な部下二人を

全く違う方向性に同時に走らせておいて、


進捗・状況を見て、片方を選択、片方を捨てる、

これはいまでも結構ある手かと…


まあ、400年以上前の話ですけど、

組織の論理とかは、永遠に不滅なのかもですね。。