さて…あまりの寒さに外出控え中です。


WBCまでは、戦国史研究とか…

最近、読んだ本。


大内、毛利、大友とかとか…名著ですね。

感想として…毛利はエグイなぁぁ、とも。

毛利家は天下を望まず、とかとか、
なんか草食系というイメージがありましたが
いやいや、とてつもなく肉食系か。

弘治元年/1555が厳島の戦いで、その後三年
で防長を征服…永禄元年/1558から
九州門司城で大友氏と激突。

これが永禄五年まで続き、それと並行して
永禄三年位から東部戦線にて
尼子氏と激突。

この東西両面作戦はスゴイですよね、
たしかに尼子攻めに一本化するため
永禄七年に大友氏とは一旦は講和するものの

この東西両面作戦の展開能力は
信長並みだと思います。

で、その目的は博多と石見銀山両取りだから
肉食系そのもの…強欲ですよね。。

天正四年から織田と激闘開始で、
天正八年・本願寺降伏までの四年は
織田家とほぼ五分の戦いかと。。

その背景には三木&荒木の織田家離反が
あった訳ですが…それを操ってるのは
本願寺&毛利ですからね…スゴイですよね。

厳島の戦いは桶狭間の五年前ですが
当時の毛利は零細企業でして、、

そこからの領土拡大比率は
織田家と比較して遜色ナシかと…

厳島戦時の毛利家と
桶狭間戦時の織田家はほぼ同規模のような
この辺、興味深し…

で、桶狭間時、信長は27歳くらいですが
厳島の戦いの時、毛利元就公は
御年58歳位ですからね…

まさに…中高年の星ではないかと
思いました。

■三好家は近畿圏というか、この本では
メインではなく、三好本ならコレ ですね


■天正六年の第二次・木津川海戦は
 毛利家惨敗ではない小川説はコチラ 


そうなんですよね…鉄甲船はかなり盛られ
てるという小川説に自分も賛成…
毛利家負けでも惨敗ではない気が。

淡路島への影響力を毛利家が天正九年まで
維持からも多分、惨敗ではないような…

大体、、鉄甲船なんて運動能力低いから
避けて通れば惨敗しないす、、
対艦誘導ミサイル装備とかしてないし…笑。