シンガポール | 後悔日誌

後悔日誌

ガイドブックに載ってなさそうな街の文化を紹介していく趣旨でしたが、好きなこと書いてたらよく分からないブログになってました。         よろしくです。

どーも、クロです。

世界の伝統料理やご当地グルメを食べ歩きます。


さて、今回はシンガポールを目指すとします。



正式名称:シンガポール共和国

首都:なし

人口:約590万人

公用語:馬、中、英、タミル

通貨:シンガポール・ドル

宗教:仏教、キリスト教、他

有名人:リー・クアンユー

別名:明るい北朝鮮



東南アジア、マレー半島の南端にある常夏の小さい国。相続・贈与・売買差益などが非課税のうえ、所得税や法人税もお安い。高所得者になっても税率が低いだなんて頑張った人が報われる競争システムですね。こりゃー裕福層が移住したくなるのも頷けます。

国立大の学力も高く、THE調の世界大学ランキングでは19位(※東京大学は29位)。ただ、治安は良いけど法律が厳しすぎるので、うっかり絞首刑にならないように気をつけましょう。


さて、【歴史のお話】は長くなるので先にご当地グルメいっちゃいましょう。


ラクサ

東南アジアで定番の麺料理。干しエビと野菜とビーフンがココナッツスープの中に沈んでました。



海南鶏飯(ハイナンジーファン)

シンガポのチキンライス。チリソースを少し付けて食べるとピリ辛うまうまです。



肉骨茶(バクチー)

骨付きスペアリブが漢方スープの中に沈んでました。見た目も名前も難易度が高そうですが、普通にうまくて完食です。


チリクラブは次回の宿題。



紹介

今回のお店はここです。もし旅行でお近くに立ち寄られたときは、シンガポの美味しい伝統料理を是非赤ワイン

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歴史(長いので興味ない人はスマホを地面に叩きつけて下さい)


昔々、マレー半島の南らへんにジョホール王国という国があり、その南端にシンガプーラというくっそ貧しい漁村がありました。


1819年

イギリスのラッフルズさんが貿易の拠点として使うため、そこの国王にパワハラ交渉してイギリスが自由に使える権利をゲットし、ついでに名称もシンガポールに改名しちゃいました。


1824年

イギリスはシンガポールを含むマレー半島ほとんどの王国を植民地にしてしまいます。

そして中国やインドから労働移民を大量に受け入れ、団結されないようマレー人と民族対立させる分割統治政策をして経済を発展させました。


ここで第二次世界大戦が勃発


1942年

アジア解放と資源確保のため、自転車(笑)に乗った日本軍がイギリス植民地のシンガポに侵攻してきます。

日本はイギリスをワンパンで倒してシンガポを占領し、名前を「昭南島」に改名させます。


日本の統治になると解放どころか生活は悪化し、民衆の不満は高まります。

また日中戦争の流れもあり、一部の華人(中国系の住民)による抗日運動を鎮圧するため、『華人まとめてニフラム作戦』を遂行します。

【シンガポール華僑粛清事件】

日本軍が華人を集めて大量虐◯した事件で、その数およそ5万人と言われてます。

(日本さんの言い分)

「そんなひどいことしてねーですヨ。捏造ですヨ。ヤッたの5千人くらいですヨ。」

※諸説あり

この時、たまたま助かった華人にリー•クアンユーさんがいました。


1945年

日本が敗戦してシンガポールから撤退すると、イギリスが「カエッテキタヨ〜」って感じで再び統治します。


1958年

リーさんグループの独立運動が活発化しはじめます。イギリスは妥協して自治権を譲渡。初代首相にリーさんが選ばれました。

っしゃーー❗️



1963年

マラヤ連邦と周辺のイギリス領が統合され「マレーシア」が誕生。シンガポはこの国の一部として念願の独立を果たします。

しかし、マレーシア政府はマレー人だけ優遇する政策を打ち出し、華人が多いシンガポとしては納得いかず、リーさんは強く反発します。


1965年

マレーシア「なんやかんや意見が合わないので、そちらはそちらで頑張ってくだちい」みたいなことを言われ、シンガポールはマレーシアから追放されてしまいました。


シンガポ単体では資源も国土も水源もないのに独立させられてしまいリーさん涙目。

しかし、腹くくります。

独裁政治により様々な政策を打ち出し、移民を受け入れ、金融取引所を発足させ、今では世界トップレベルの経済力、学力、競争力のある国に成長させました。


リーさんなくして今のシンガポールはなく、建国の父と言われるようになりました。

不幸な過去を越えて、今の日本とシンガポールは友好関係にあります。それは下記の名言にあるように、リーさんの寛容さによる結果かもしれませんね。


「Forgive, but never forget」

      許そう、しかし忘れまい