柳生の里レポート、第3回です。
一刀石を見学し山道を下っていると、柳生氏の菩提寺である芳徳寺があったので、さっそく訪問。
一刀石と違って、こちらはほとんど人影無し。
そういえば、ここは柳生城跡でもあったのですね。
後でそちらも見学しようと思ってたけど、すっかり忘れてた・・・
ここには、柳生一族の墓地があるそうですよ!
境内は人っ子一人いません。
まずはお墓を参拝するか・・・
本堂左の小道を進みます。
頭上の紅葉、紅葉の季節に来ればよかった・・・
おお、ここが柳生一族の・・・と思ったら、ここは歴代住職の墓地。
ここに初代住職、柳生烈堂(義仙)の墓石も。
柳生一族の墓地は、さらに奥です。
100mほど進むと、墓地が見えてきました!
一段高い場所に、一族の墓石がまとまって祀られています。
それでは、一礼して参拝させていただきます。
ズラリと並ぶ石塔。
ここには柳生藩の藩主や、主だった方々が眠っておられます。
それでは、私が知ってる柳生一族の墓石を紹介。
柳生宗冬の墓石。
柳生藩初代藩主、柳生宗矩の三男で、柳生十兵衛三巌の弟。
柳生藩三代(実質的には二代)藩主。
晩年、池に浮かぶボウフラを見て剣の奥義を悟ったという、珍しいエピソードが残ってます。
さぁ、みんな大好き柳生十兵衛の墓石。
独眼と言えば、十兵衛か政宗かってくらい、知名度のある剣士ですね。
本来なら十兵衛が二代藩主だったのですが、早世してしまったのが惜しまれます・・・
・・・う~ん、この左の墓石、二文字目が「厳」なので、柳生宗厳(石舟斎)かな?
でも、戒名が違うような・・・
それとも、家厳(石舟斎の父)かな?
右側は柳生厳勝、石舟斎の長男で宗矩の兄であり、尾張柳生家の祖、柳生利厳の父。
三つ並んだ墓石の右側が、初代柳生藩主、柳生宗矩の墓石。
初代藩主にしては、質素な墓石ですね。
中央は柳生友矩、左側は柳生宗春。
柳生友矩は宗矩の兄で十兵衛の弟。
将来を嘱望された逸材だったそうですが、27歳で早世しました。
柳生宗春は宗冬の長男で、この人も才能に恵まれ人望も篤かったのですが、天然痘で奇しくも友矩と同じ27歳で死去しました。
そして柳生石舟斎に新陰流を伝えた、上泉伊勢守秀綱の墓石もありました。
柳生新陰流の祖として、大切に祀られてきたようですね。
柳生一族の墓地を参拝して、身が引き締まる想いでした。
神域というか、神聖な気が満ちているという感じを受けました。
・・・次回、最終回。