桜と花見の歴史とプロトコール | (一社)日本プロトコール・マナー協会 理事長 船田三和子のインナービューティーライフ

桜と花見の歴史とプロトコール

皆さま、ごきげんよう。

日本プロトコール・マナー協会の船田でございます。

 

何かと慌ただしい3月。皆さま、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

 

桜の開花予想が出始めましたので、昨日の協会会員様向けライブ配信では、「日本人にとっての桜と花見の歴史」についてお話をいたしました。

 

平安京が誕生した頃、貴族の館では、すでに花見が行われておりました。しかしそれは「梅」だったそうです。平安京が誕生後15年目に即位された嵯峨天皇が、京都の清水寺に隣接されている地主神社の境内に咲いていた地主桜(一本の枝に一重の花と八重の花が咲く桜)を気に入り、地主神社の桜を宮中に献上させるようになりました。

 

そして、813年に初めて公式の花見「花宴」がおこなわれ、貴族にも広まっていきました。

 

わたくしが桜にまつわる歴史の中で興味を持っている一つに、「日本史上最大の花見」があります。ご存知でいらっしゃいますでしょうか。最も盛大な花見を行ったのは、豊臣秀吉です。京都伏見区醍醐寺で開催したもので、「醍醐の花見」と名称がついています。700本の桜を植え、花見用の山を作ったといわれています。

秀吉がこのような花見を企画したのは、天下統一後、ある思いがあったからです。そして、この花見の結末もまた秀吉らしいとも思う形になりました。そのあたりのことにつきましては、協会会員様にのみお話をしております^^

 

一般庶民も行くことができる名所は、江戸時代にできはじめました。

しかし、文明開化の影響で、桜は悲惨な運命をたどります・・・・植木職人たちが桜を守るプロジェクトを行ってくださったおかげで、桜も復活しつつありましたが、今度は太平洋戦争で切り倒され・・・・美しい桜にも苦労があったのです。

 

明治45年に日米友好の証としてアメリカのワシントンへ贈った桜。昭和56年にワシントンの人々がかつて贈られた桜を送り返してくださり復活しました。

 

ちなみに、日本がアメリカに桜を贈った返礼に、アメリカからは国花でもある「ハナミズキ」が送られました。

 

昔、上皇后美智子さまが皇后でいらしたときに、アメリカ訪問の際の晩餐会で「ハナミズキ」のコサージュがあしらわれているドレスをお召しになっていました。そして、レーガン元大統領夫人も、日本の国旗をイメージした真紅のドレスをお召しになっていらっしゃいました。

プロトコールでは、このように「異文化の尊重」が大切にされています。異文化の尊重と申しましても、お相手やお相手国に合わせるだけではなく、お互いを知り「引き立て合う」ということが大切です。

 

そのためには、さまざまな歴史や文化の教養が必要です。プロトコールを発揮するためには、思いやりと裏付けとなる教養も必要なのです。

 

わたくしも、まだまだ成長しなくては^^と、いつも思っております。

 

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