斎藤一の出自ははっきりしないが、山口家に生まれ名前は一だった。江戸で刃傷沙汰を起こして京都へ逃れ斎藤に改名した。

 その後、新撰組に入隊して副長助勤となり、戊辰戦争では鳥羽伏見、宇都宮、白河口、会津と転戦し、戦後は斗南藩士となって下北へ移住した。この時結婚して藤田五郎に改名している。

 廃藩置県後は東京に移住して警視庁に勤め、西南戦争では抜刀隊に属して薩軍と戦った。

 72歳まで生きて大正4年に亡くなったが、本人の希望で会津若松市の阿弥陀寺に葬られた。境内には会津戦争で亡くなった東軍兵士の墓もある。

 生涯にいったいどれだけの白兵戦を経験したのか。近代の本多忠勝だと思う。