沢庵宗彭は江戸時代初期の臨済宗の僧。但馬守護山名氏の家臣の家に生まれたが、主家の滅亡で流浪し出家して出石の宗鏡寺で修行した。

 その後、大徳寺の首座に登ったが、幕府と朝廷が対立した紫衣事件で有罪となり出羽上山へ流された。

 沢庵が60歳の時に秀忠の死による大赦で赦され家光に仕えたが、度々故郷の出石に戻り宗鏡寺で過ごしたので、墓は本堂の裏の高台に建てられている。