薩摩藩には本家が絶えた時に世継ぎを出す一門四家があり、今和泉島津家もその内の一家だった。領地は指宿で立派な墓所が残るが、鹿児島城下にも屋敷があって、13代将軍徳川家定に輿入れした篤姫はここで生まれた。

 屋敷は残っていないが、道路に面した石垣は当時の物ではないだろうか。