上杉治憲は鷹山の号名で知られる米沢藩第9代藩主で、高鍋藩秋月家から養子に入り、藩政改革を断行して米沢藩を財政危機から救い、天明の飢饉でも餓死者を出さなかった。

 鷹山が46歳の時、恩師の細井平洲を郊外の普門寺まで出迎えた地が史跡となっている。