佐久間象山・大村益次郎遭難地 佐久間象山は幕末の松代藩士で、蘭学、特に砲術に造詣が深く、吉田松陰や勝海舟などの逸材を育てたが、開国を主張したために京都三条木屋町で攘夷派に刺殺された。1864年、53歳。 一方、大村益次郎は長州藩の医師の家に生まれ、適塾で蘭学を学んで長州藩の兵制を改革し、幕府との戦争を勝利に導いた。明治新政府でも近代兵制への改革を実施したが、京都で守旧派に襲われ大阪の病院で死亡した。1869年(明治2)、45歳。墓は生れ故郷の山口市にある。