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 毛利秀包は毛利元就の九男で、実子のなかった小早川隆景の養子となったが、秀吉の甥が小早川家を継いだことで独立し、豊臣政権下で久留米城主にまでなったが、関ヶ原の戦いで大津からの帰路に発病し下関で没した。35歳。子孫は周防国吉敷郡を領して長州藩の家老となった。
 墓は下関市豊北町大字滝部の西楽寺にあり、本堂の裏手に亀趺と五輪塔が残っている。