里見義通は安房里見氏の第3代当主で、安房における戦国大名としての基礎を築いた人物とされる。
その子が第4代当主の義豊なのだが、叔父(義通の弟)の実堯、その子義堯との間で内紛(天文の内訌)が生じ、結果、義豊が敗死して義堯が第5代当主となった。
墓のある南房総市犬掛の地は、天文の内訌の古戦場でもあり、墓は墓石としては珍しい多層塔で小ぶりなもの。
里見義通は安房里見氏の第3代当主で、安房における戦国大名としての基礎を築いた人物とされる。
その子が第4代当主の義豊なのだが、叔父(義通の弟)の実堯、その子義堯との間で内紛(天文の内訌)が生じ、結果、義豊が敗死して義堯が第5代当主となった。
墓のある南房総市犬掛の地は、天文の内訌の古戦場でもあり、墓は墓石としては珍しい多層塔で小ぶりなもの。