大友宗麟の墓 名を義鎮という戦国時代後期の大名で、九州の北半分を支配し、キリスト教を保護したが、九州北部へ侵出した島津氏に敗れて秀吉に救援を要請し、豊後津久見で病死した。 墓は大分県津久見市津久見の宗麟公園にあるが、江戸時代に再建された仏式で、隣にキリスト教式の石棺もあるがこちらは昭和になってからのもの。