紀貫之の墓 平安時代前期の歌人で三十六歌仙の一人として古今和歌集などを編纂した。 奈良時代の紀氏は有力な公卿を輩出した名家だったが、平安時代には藤原氏に押されて家運は傾いていたので、貫之も土佐守として地方で勤務し、その帰路に記した「土佐日記」が有名。 墓は比叡山へ登る坂本ケーブルのもたて山駅から山道を500mの山中にある。 また、ケーブル坂本駅は大正14年に建てられた古い駅舎。 高知県の土佐国司館