周布氏は藤原北家を祖とする益田氏の分流で、山内氏の滅亡後に毛利氏に従った。
政之助は幕末の長州藩士で母は村田氏なので村田清風とは親戚になる。生まれは萩だが父の死去により母の実家のあるここ浅田で育った。
32歳の時に藩の要職に就き、清風の遺志を継いで藩政改革に取り組むが、八月十八日の政変と禁門の変により窮地に立たされ、長州征伐の軍が迫る中、責任を取って山口で自刃した。(42歳)
墓は自刃した山口にもあるが、説明板には「後年、浅田に改葬した」とあり、墓石にも「贈正四位」と刻まれていることから、明治維新以降にこの地に改葬されたと思われる。
また、墓石には山内容堂に暴言を吐いて改名した麻田公輔の名も刻まれている。
墓の場所は非常に分かり難く、記念館の館長さんが現地まで案内してくださった。