「天正四丙十一月十一日、不染院水心日栄霊、一瀬治部大輔」と刻まれた墓碑で、大村純忠が重臣25名とともに洗礼を受けた時の一人、一瀬栄正のものとされている。
後の禁教令による弾圧から隠すために、墓石を縦に起こして戒名が刻まれたので、本来は正面だった上部に十字が残っている。
「天正四丙十一月十一日、不染院水心日栄霊、一瀬治部大輔」と刻まれた墓碑で、大村純忠が重臣25名とともに洗礼を受けた時の一人、一瀬栄正のものとされている。
後の禁教令による弾圧から隠すために、墓石を縦に起こして戒名が刻まれたので、本来は正面だった上部に十字が残っている。