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 島津氏初代の忠久から5代の墓が出水市の感応寺に残るが、墓石の法名は明治初期の廃仏毀釈で神式に書き換えられているらしい。
 藩主の祖先の墓石まで改変するなんて、薩摩における廃仏毀釈がいかに激しかったかが分かる。この時にほとんどの寺院が破壊されたので、今回の訪問でも古い仏教建築を見ることは無かった。