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 平重衡は清盛の五男で武勇の誉れ高かった武将で、平家政権に反旗を翻した南都の東大寺や興福寺を焼き討ちした事で寺社勢力から恨まれた。
 一の谷の戦いで捕えられ鎌倉で捕虜となったが、壇ノ浦で平家が滅亡した後に南都宗徒の要求で東大寺に引き渡され、木津川河畔で斬首された。 
 重衡を哀れんだ地元の人が柿の木を植えたが一向に実らなかったと言われるが、今では柿の実が良く実っている。