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おしろまなぶ の お城を学ぼう

訪問したお城について書いていきます。

とうとう私も新型コロナウイルスに感染しまして、絶賛療養中でございます。
まさか、あんなに喉が痛くなるなんて・・・。

さて、今回は、現在の栃木県大田原市(旧那須郡黒羽町)にあった城、黒羽城です。



黒羽城跡は現在、黒羽城址公園として整備されていて、那須塩原駅か西那須野駅からバスに乗り、大雄寺入口バス停で下車すると、徒歩15分くらいで行くことができます。
駐車場が結構広いので、車で行くのがオススメです。

黒羽城址公園については↓↓
https://www.ohtawara.info/spot_detail.html?id=29


駐車場にある井戸跡。
屋根までついていて、とても立派な井戸ですが、井戸そのものは埋められていました。


大田原市黒羽体育館。
施設の老朽化に伴う危険防止のため、2023年(令和5年)末をもって利用停止となっています。
二の丸の一角というのが適切なのか分かりませんが、そんな感じの場所にあります。


土塁。
本丸および中の丸をぐるっと取り囲むように巡らされている土塁です。
かなり高くて、見ごたえ抜群です。


黒羽城址公園の北側の入口。
今回、私はここから公園に入っていきました。


紫陽花がとてもキレイです。

黒羽城は、1576年(天正4年)に大関高増が白旗城に代わる本拠地として築きました。


空堀。
結構規模が大きくて、迫力満点ですね。


二の丸から中の丸に入るあたりでしょうか?
虎口っぽい雰囲気が残されていますね。


櫓台っぽい感じの雰囲気がある土塁。
今は登ってはいけないようで、通行止めになっています。


中の丸。
こちらも駐車場になっています。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、主家の那須氏は小田原に参陣しなかったために改易されたものの、大関高増は弟の大田原綱清の子・晴清とともにいち早く参陣したために所領を安堵されます。


本丸跡。
とても広いです。
本丸には、当時は後でちょっと触れますが、かなり大きな藩主の住居が建っていたようです。


本丸跡にある能舞台。
かなり立派な能舞台で、観客は芝生に腰を下ろして観覧するスタイルです。


模擬物見櫓。
本丸跡の土塁の一角に、物見台っぽい感じの展望台があります。

さて、ここからは紫陽花の画像をしばしお楽しみくださいww








では、三の丸方面へ進んでいきましょう。


本丸土塁の上に登れる階段があるので、登ってみます。


土塁上には、物見櫓でもあったかのような雰囲気のスペースがあります。


いい景色です。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは、大関氏は東軍についたことから、戦後、徳川家康によって加増されて大名になります。


本丸から馬出郭につながる木橋。
深く大きな空堀が迫力満点です。


木橋の上から見た空堀。
空堀にも紫陽花が咲いていて、綺麗ですね。

その後も、外様大名としては異例ですが、江戸時代を通じて代々大関氏が黒羽藩主を務めます。


馬出郭。
休憩用の東屋が設置されていたりして、馬出にしては結構広いです。
ここもたくさんの紫陽花が咲いていて、家族は大喜びでした。


馬出郭から下に降りていく道もあったのですが、土塁を乗り越える階段を上って、三の丸方面へ向かいます。


馬出郭と三の丸の間の空堀。
こちらもかなり深くて大きな空堀です。


三の丸の虎口とみられる場所には、芭蕉の館(後で入館します)の渡り廊下的な建物があって、その下を石垣が支えています。
石垣はおそらく芭蕉の館を建てたときに築いたものと思われますが、これはこれで雰囲気がありますね。


三の丸跡。

1871年(明治4年)の廃藩置県によって、黒羽城は廃城となりました。


松尾芭蕉の像。
馬にまたがり、弟子の河合曽良を引き連れた銅像があります。
像の奥には、おくのほそ道文学碑もあります。


黒羽芭蕉の館。
松尾芭蕉がおくのほそ道を著す道のりや、黒羽藩主・大関氏に関する資料などが展示されています。
黒羽は、芭蕉が旅をしている間に最も長く滞在していた場所なのだそうです。
入館料が大人300円なのですが、訪問時は栃木県民の日の前後だったためか、入館無料でした。
黒羽芭蕉の館については↓↓
https://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082780058/


先ほどの馬出郭まで戻り、下に降りる道を通っていきます。


空堀。
こんなに立派な空堀がすごく残っていて、素晴らしいです。


馬出郭と本丸の間の木橋を横から見てみましょう。


水堀。
当時から水堀だったのか、空堀に水が貯まっただけなのかは分かりません(汗)


本丸の東側に位置する郭の虎口っぽいところ。
周囲を高い土塁で囲まれていて、防御性の高さを伺わせます。


こちらも虎口っぽい地形をしています。
写真左側には黒羽城址の石碑が建っていて、右側にも何らかの石碑(←おい)が建っています。


再び木橋。
本丸の東側にある郭から、本丸へ渡るための木橋です。
こちらは先ほど渡ったものよりも短いです。


木橋を渡った先にある虎口。
この先へ進むと、初めの方にご紹介した本丸へと戻ります。


本丸に戻ってすぐのところにある史跡 黒羽城跡 本丸跡の碑。
右隣にあるのは黒羽藩大関氏御本城御住居全図が書かれた案内板です。

城跡のすべてを見て回れたわけではないのですが、スケールの大きな空堀や土塁が現存していて、とても見ごたえがあって楽しかったです。
また、紫陽花がとても綺麗で、私も家族もテンションが上がりっぱなしでした。

では、この辺で。


おしろまなぶ。