福島城(越後国・新潟県上越市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、現在の新潟県上越市にあった城、福島城です。
何年か前に福島県福島市の福島城をご紹介しましたが、今回は、新潟県上越市の福島城です。

上越市は1971年(昭和46年)に当時の高田市と直江津市が合併してできた市です。
高田市は越後高田藩の城下町として栄え、直江津市は港町として栄えていました。
その後、2005年(平成17年)に 東頸城郡の安塚町、浦川原村、大島村、牧村および中頸城郡の柿崎町、大潟町、頸城村、吉川町、中郷村、板倉町、清里村、三和村と西頸城郡の名立町の13町村を編入合併して現在に至ります。



福島城跡は現在、上越市立古城小学校やその一体となっていて、直江津駅北口から頸城バスに乗り、古城公園バス停で下車すると徒歩5分ほどで行くことができます。
または、直江津駅北口から20分少々歩いても行くことができます。
私は行きは徒歩で、帰りはバスで移動しました。

途中、「NGT48のにいがったフレンド」にも出てきた、ワニが食べられる「トロピカル居酒屋とんが村」さんを横目に歩いていくことになります。
時間があれば寄りたかったですが、泣く泣く断念しました・・・(汗)
訪問していないため、写真はありません。


直江津駅北口。
先週と全く同じ写真です。
当然といえば当然ですが、説明も全く同じになりますので、今回は割愛いたします。


上越市立古城(ふるしろ)小学校の校門。
右側に福島城跡の看板(?)があります。
部外者を寄せ付けない雰囲気の学校が多くなってきた昨今にあって、明確な拒否姿勢を見せていないオープンな感じの小学校です。
きっと福島城跡を多少なりともプッシュしたい思惑が生んだ結果なのでしょうね。


福島城跡の石碑。
石垣っぽい台座の上に立派に鎮座しています。

福島城は、会津に移封となった上杉景勝に代わって春日山城の城主となった、堀秀治によって築城が開始されました。


史跡 福島城跡の碑。
先程の石碑よりは後にできたのでしょうが、福島城跡であることを示す貴重な石碑です。
この辺りに福島城資料館があったようですが、小学校側に移転した旨を書いた看板がありました。

秀治の子・忠俊の代に完成し、1607年(慶長12年)に堀忠俊は春日山城から福島城へと移りました。


福島城資料館。
ここが移転したという福島城資料館ですが、デイホーム古城と一体化しているような気もしますし、古城小学校の校舎とも一体化しているような気もします。
土日祝日しか開いていないということで中には入れませんでしたので、確認したくてもできませんでしたが、どうやらデイホームは2013年(平成25年)に閉鎖されたようです。
元はプレハブだった福島城資料館が、デイホーム跡に移転したようです。


古城児童公園。
ここも福島城の城域だったと思われます。

1610年(慶長15年)に堀忠俊がお家騒動により改易されると、徳川家康の6男・松平忠輝が城主となります。
忠輝は1614年(慶長19年)に高田城を築城して移ったため、福島城は廃城となりました。


ごく普通の公園と言いたいところですが、公園内にプールがあります。
こんな小規模な公園にプールがあるとは思いませんでした。
夏には子供たちで賑わうのでしょうか・・・?
あまりイメージが湧きませんが、どうなんでしょうね?????

遺構が全く残っておらず、やはり残念な気持ちになりますが、時代の流れには逆らえませんね。
そして、時間の都合上とんが村に行けなかったのが本当に心残りでした。

では、この辺で。


御城学。