小篠塚城(下総国・千葉県佐倉市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

おしろまなぶ の お城を学ぼう

訪問したお城について書いていきます。

明日からゴールデンウィークですね。
明日から9連休という方もいますでしょうか。

さて今回は、現在の千葉県佐倉市にあった城、小篠塚城です。



小篠塚城跡は現在、正慧寺(しょうけいじ)の境内に小篠塚城址園として整備されていて、JR東日本総武本線(成田線直通含む)の物井駅北口から佐倉市コミュニティバスの南部地域ルートに乗り、小篠塚城址園前バス停で下車するとすぐのところにあります。
ただ、本数も少ないので、車で行くのがいいと思います。


駐車場。
小篠塚城址園前の看板で案内された通りに行くと、とても狭い道を通って駐車場に車を停めることになります。


小篠塚城址園の入口。
階段が整備されていたようですが、土が流れちゃったりしていてだいぶなだらかになっています。
そんな階段のような坂道のようなところから登っていきましょう。


切り落とし。
登城路のところに切り落としと書かれた表示がされています。
スパッと切り落としたような斜面となっています。


空堀。
だいぶ浅く放っていると思うのですが、それでも雰囲気は出ていますね。


堀底道。
先程の空堀はそのまま堀底道となっています。

小篠塚城の築城主や築城時期について詳しくは分かっていませんが、鎌倉時代後期~室町時代初期頃の築城と考えられています。


大手口。
かつてはここが城の正面入口だったわけですが、現在では背後には牛舎が控えていて、当時の面影を見るのがなかなか難しい状況となっています。


本丸虎口。
左右に土塁があって、直進できるタイプの虎口です。


本丸。
ここには城主の館か何かがあったのでしょうか。

1471年(文明3年)、享徳の乱(1455~1483年)のさなかに古河城を追われた古河公方・足利成氏が千葉孝胤を頼り、小篠塚城に入ります。


土塁。
本丸の周囲は土塁で囲まれています。

成氏は翌1472年(文明4年)に古河城を奪還に成功し、古河城へ帰還します。


咲耶姫神社。
本丸には大山祇神(おおやまつみ)の娘・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀った咲耶姫神社があります。
木花咲耶姫は天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と結ばれ、海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)を産んだとされています。
山幸彦の孫が神武天皇とされていますね。


袖摺坂。
着物の袖を摺るくらい急な坂という意味なんでしょうが、坂の上に表示があると、坂と一緒に写真を撮ることができないという難点がありますね。


腰曲輪。
本丸の脇には腰曲輪もあります。


腰曲輪の近くには竪堀らしきものもあります。

その後、千葉氏の中での内紛もあって古河公方と対立するようになり、1502年(明応11年)~1504年(永正元年)にかけて足利政氏・高基父子が千葉氏征伐のために小篠塚城に在城したとされています。


二の丸。
休憩所のようなものはありますが、他には特になにもありません。


出丸見台。
二の丸から張り出すように出丸見台がありますが、現在は木が生い茂っていて見晴らしがよくありません・・・。


三の丸。
何か小屋みたいなものがあります。


空也宗 正慧寺。
2002年(平成14年)に開山した歴史の新しい寺院です。
公式HPは↓↓
https://syoukeiji.jimdo.com/
タイトルが正慧寺のホームペジなのはご愛嬌でしょうか。


正慧寺脇の駐車場。
下記の方以外駐車禁止です。
1.植物園、城址園ご利用の方
2.小篠塚遊歩道ご利用の方
って、ここに駐車できたんですかい!!
わざわざ狭い道通って反対側の駐車場に停めた意味は一体・・・。


搦手坂虎口鎧坂。
こちらが小篠塚城の裏口(搦手口)にあたる鎧坂です。
城としては裏口ですが、正慧寺としては正面の入口ですね。


小篠塚城址の碑。
坂を下ったところには大きな石碑があります。
すごい逆流してきた感がありますが、坂の反対側の案内表示で反対側の駐車場に停めるよう書いてあったので仕方ないです。
というか、搦手口に石碑があるので仕方ないです(←おい)。

小篠塚城の廃城時期などその後のことはよく分かっていません。


小篠塚城跡の標柱。
石碑から少し歩いたところには標柱もあります。
この標柱はボロボロ具合からいっても、正慧寺が開山する前からありそうですね。

一時的な陣を置くための城だったのか、とてもコンパクトでそんなに防御性も高くない城ですが、それなりに遺構もあって見どころはあります。

では、この辺で。


御城学。