早いもので、今年最後の城ブログとなります。
来年早々、ネタ切れで休止の危機を迎えておりますが・・・(苦笑)
そんな今回は、現在の福島県相馬市にあった城、相馬中村城です。
相馬中村城跡は現在、馬陵公園として整備されていて、相馬駅から徒歩10分少々で行くことができます。
相馬駅。
JR東日本の常磐線が乗り入れています。
常磐線は2011年(平成23年)の東日本大震災で被災し、現在も原ノ町駅~富岡駅間で代行バスを運行するという状況が続いています。
簡易Suica改札機が設置されていますが、自動改札機はありませんので切符は駅員さんに渡しましょう。
中堀。
相馬中村城跡には、水堀が結構残されています。
外大手一ノ門(現存)。
相馬義胤が武蔵国川越城の城番を務めていた際に城門の堅固さに感心し、それを模して改造したといわれています。
1649年(慶安2年)に完成し、現存しています。
外大手二ノ門跡。
両側に土塁があります。
相馬中村城は、平安時代の801年(延暦20年)に坂上田村麻呂が蝦夷との戦いに備えて菅原敬実に守らせた館が始まりとされています。
中の門跡。
南二の丸の東側の入口になります。
往時は一ノ門、二ノ門があり、枡形を形成していました。
南二の丸(長友)。
当初は重臣の屋敷や厩などが置かれていましたが、厩は東三の丸へ移され、常小屋が設けられました。
現在は長友グラウンドとなっています。
長友と聞くと、サッカー日本代表の長友選手を思い浮かべてしまいますね(笑)
相馬神社の参道。
中の門跡を通ってから東二の丸に沿って歩いていくと、本丸跡にある相馬神社へ向かうことができます。
相馬中村神社(中村神社)の鳥居。
中の門跡から南二の丸に沿って歩いていくと、相馬中村神社へ向かうことができます。
今回はまず、相馬神社へ向かっていくことにしました。
っていうか、相馬神社と相馬中村神社って、紛らわしいですね・・・(笑)
相馬中村城址の碑。
相馬神社方面へ歩いていくとすぐのところにあります。
それにしても、何か傾いてますし、中途半端なところに設置されているなぁといった印象を受けます。
空堀を渡る赤橋。
東二の丸と本丸をつなぐ木橋です。
南北朝時代の1337年(延元2年・建武4年)には地元の豪族である中村朝高が居館を築きます。
東二の丸の虎口。
東二の丸(中館)。
見ての通り現在は野球場です。
1674年(延宝2年)~1783年(天明3年)頃までは御殿があり、藩主の邸宅となっていました。
丸土張の虎口。
丸土張というのは、簡単に言うと馬出です。
現在は東二の丸と丸土張の境界が不明瞭になっています。
二宮尊徳像。
江戸時代後期の農政家で、二宮金次郎として有名ですね。
天明・天保の飢饉によって相馬中村藩は困窮を極めますが、藩主の相馬充胤は幕府の許可を得て二宮尊徳の提唱した御仕法(報徳仕法)を導入、藩の財政再建に成功しました。
この功績を称えて丸土張に像が設置されています。
先程の赤橋を渡っていきます。
いよいよ本丸へ突入です。
内大手一ノ門跡。
戦国時代になると相馬中村城は相馬氏の支配下となり、1563年(永禄6年)には相馬隆胤が入城します。
相馬神社。
相馬氏の祖・相馬師常を祭神として1880年(明治13年)に創建された神社です。
天守跡。
天守は1611年(慶長16年)に建てられますが、1670年(寛文10年)の落雷で焼失すると、以後再建されることはありませんでした。
後門跡。
本丸の西側の出入口です。
写真手前の黒橋を渡って西二の丸へ行くことができます。
西二の丸(西館)。
当初は家臣の屋敷となっていましたが、後に台所役所と米蔵となり、年貢が納められました。
現在は馬場となっています。
北二の丸への虎口。
1611年(慶長16年)には、相馬利胤によって小高城に代わる本拠地として修築され、相馬中村城は近世城郭へと変貌を遂げます。
以後、明治にいたるまで相馬氏が相馬中村藩の藩主として13代に渡って相馬中村城を居城とします。
北二の丸(お花畑)。
相馬昌胤の頃に奇樹奇草を植えたことからお花畑と呼ばれますが、現在は何だか鬱蒼とした感じになっています。
相馬神社の西側の入口。
西二の丸を通って南二の丸の西端に出てきました。
ん?日本百名城!?でしたっけ??違った気がしますが・・・、いや絶対違う・・・ハズ・・・。
それとも、日本100名城と日本百名城は違うのでしょうか?
相馬中村神社入口。
今度は相馬中村神社(中村神社)へと向かいます。
1611年(慶長16年)に相馬利胤が小高城から相馬中村城へ移った際に、妙見社も移してことが始まりで、明治新政府の発布した神仏分離令により神社となりました。
相馬中村神社のHPは↓↓
http://www.somanakamurajinjya.or.jp/
おぉ・・・保存修理工事中・・・。
残念ながら本殿での参拝はかなわず・・・(汗)
本殿のあるところは妙見曲輪といい、相馬氏の氏神である妙見を祀っていました。
本殿は1643年(寛永20年)に相馬義胤によって建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
妙見信仰とは、やっぱりといいますかさすがといいますか、千葉氏の一族らしいなといった感じですよね。
境内に馬がいましたので、エサの人参(200円)をあげてみました。
全部あげたのに、もっと欲しそうな雰囲気でした。
内堀跡と本丸鉢巻石垣。
手前の芝生のところが内堀跡で、奥に見える本丸の切岸の上半分に石垣があります。
この石垣が本丸の切岸を一周していて鉢巻のようだということで、鉢巻石垣というのだそうです。
相馬市歴史資料収蔵館と相馬市郷土蔵。
相馬市の古代の歴史や相馬中村城に関する史料、民俗資料や郷土の彫刻家・佐藤玄々の作品などが展示されています。
参考に、↓↓の相馬デジタルミュージアムのHPをご覧ください。
http://www.city.soma.fukushima.jp/digital/
千葉県民の私としては、千葉六党(千葉常胤の6人の子)の1人・相馬師常が祖となった相馬氏の城に行ってみたかったので、念願かなってといった感じです。
見どころも多く、とても満足できました。
今度は南相馬市の小高城に行きたいですが、いつになることやら・・・。
では、この辺で今年最後の更新を終えたいと思います。
今年1年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。
御城学。