今回は、現在の千葉県いすみ市(旧夷隅郡夷隅町)にあった城、万喜城(万木城)です。
いすみ市は、平成の大合併で2005年(平成17年)に夷隅(いすみ)郡夷隅町、大原町、岬町が合併してできた市です。
なんと、今回で200城目の更新となります。ありがとうございます。

万喜城跡は、現在は万木城跡公園として整備されていて、いすみ鉄道の風そよぐ谷国吉駅から徒歩45分ほどのところにありますが、車で行ったほうが便利です。
私も車で行きました。
ちなみに、今回は私と娘の2人っきりで行って参りました(大体は1人で行ってますが)ので、娘の事実上の城攻めデビューとなります。

麓の駐車場にあった案内図。
結構わかりやすく、今回の散策の参考にさせてもらいました。

登城路。
片側交互通行で山頂の駐車場まで行けるようですが、歩いて登りました。
両側が土塁の堀底道っぽい感じがいいですね。

ところどころ曲輪っぽいところがあって、テンションが上がります。

こちらは、曲輪跡に遊具を設置した感じでしょうか??
万喜城は土岐頼元が応永年間(1394~1427年)に築いたとされています。
その後、土岐為頼は里見義堯と姻戚関係を結んで臣従しますが、1564年(永禄7年)の第二次国府台の戦いでは里見氏から後北条氏に寝返り、以後は後北条氏の配下となります。

本丸跡。
イベントスペースのような感じになっています。
毎年5月3日に万木城まつりが開かれているそうで、今年は小結の魁聖関がゲストだったようです。
5月4日に行きましたので、お相撲さんはいませんでした(←当たり前)。
万木城まつりについては↓↓
http://www.isumi-kankou.com/event/mangijyoumatsuri.html

ちょっと小高い曲輪のような盛り土。
登ってみたかったのですが、朝に雨が降っていたせいで足元が滑りやすくなっていて、抱っこ紐で娘を抱っこした状態では登れませんでした(汗)
滑って両手両膝ついちゃいました・・・。
倉の台という曲輪だったらしいので、登りたかった・・・。

模擬天守(?)。
ちょっとだけ天守っぽい形をした展望台です。ある意味かなり斬新な造りをしています。
この展望台が建っているところは、おそらく櫓台だったのでしょう。
模擬天守の四隅からロープを張って鯉のぼりを泳がせていますが、だいぶ吹っ飛んで地面に落ちていました(汗)
1589年(天正17年)に豊臣秀吉の小田原攻めの備えとして小田原城に兵を派遣すると、真里谷武田氏や里見氏、正木氏が万喜城を攻撃しますがいずれも城主の土岐頼春は撃退します。

展望台からの景色。
田園風景が広がっていて、とてものどかです。

模擬天守の近くに城山公園の石碑が建っていますが、文字がほとんど読めませんでした(汗)
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めで、本多忠勝の攻撃を受け落城します。

井戸跡。
周囲をコンクリートで固めてありますね・・・(汗)
本多忠勝が大多喜城に移るまで一時的に万喜城を居城とし、その後廃城となったと思われます。

三光寺妙見堂。
妙見山三光寺は天台宗の寺院で、万喜城跡の山の麓にあります。
駐車場がありますので、車で移動しました。

三光寺薬師堂。
こっちが本堂的な役割なのかな~といった感じです。

下堰。
何の説明もないですが、水源?水堀跡?

上堰。
下堰のすぐ近くにあります。
こちらも水源だったのか、水堀だったのか・・・。
娘を抱っこしながらの登城、思いの外キツかったですね。
安全に配慮して深入りできませんでしたし・・・。
抱っこ紐での散歩は、娘が楽しそうだったのが何よりでした。
最後に万木城跡公園のHPを↓↓に貼って終わりたいと思います。
http://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/7388
では。
御城学。