佐貫城(上総国・千葉県富津市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今週は、現在の千葉県富津(ふっつ)市にあった城、佐貫(さぬき)城です。
今回で通算100城目となりました。ありがとうございます。

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佐貫城跡は、JR佐貫町駅から徒歩25分くらいのところにあります。

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佐貫町駅。
JR東日本の内房線が乗り入れています。

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佐貫城跡の入口。

佐貫城は、室町時代に長尾氏が築いたとする説や、真里谷武田氏が築いたとする説があります。

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大手櫓門跡。
千葉県内の城跡には珍しい石垣の櫓台です。
形の整った石垣がキレイに積まれているのを見ると、近世に築かれたものと思われます。

その後、佐貫城は里見氏の居城となりますが、関東に進出してきた後北条氏と激しい争奪戦を繰り広げることとなります。

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三の丸。
手前側にネギが一列に植えられていますww

1590年(天正18年)の小田原攻めの際、佐貫城は里見氏が支配していましたが、里見氏は小田原攻めに参陣しなかったため、豊臣秀吉に所領を安房一国に減らされてしまいます。

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二の丸。

代わって、関東に入封した徳川家康の家臣・内藤家長が佐貫城に入りました。

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土橋と空堀。
この写真では分かりにくいですが、空堀も大きさも深さもあって、見応えがあります。

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井戸。
水が張っていて、まだ使えそうな感じがします。
子供とか、間違って落ちないように気をつける必要がありそうですね。

1622年(元和8年)に内藤家長の子・政長が陸奥国磐城平へと転封となると、武蔵国深谷から松平忠重が入って佐貫藩を立藩します。

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本丸。
木がたくさんあって、いまいち広さが実感できないですが・・・

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展望台へ。
本丸に連なって2ヵ所の展望台(物見台)があるのですが、案内板があるのは1ヵ所のみです。

2度の廃藩の後、1710年(宝永7年)に阿部正鎮が三河国刈谷から移封となると、以後は阿部氏が代々この地を治め、明治を迎えました。

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展望台からの景色。
東京湾に富津岬、三浦半島が・・・見えにくくてすみませんm(__)m

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本丸のさらに奥にはもう1つ展望台があります。

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展望台の下の空堀。
脇道から下に降りてみました。非常に急斜面な空堀です。

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イノシシ捕獲用ワナ。
この辺りはイノシシが出没するようです。間違ってくぐったりしないようにしましょうw
ここから先は畑になっているようでしたので、引き返しました。

では、この辺で。


御城学。