今回は、ゴールデンウィークということで、臨時で更新しました。
来週も臨時更新ありです。
第1弾の今回は、現在の茨城県常総市(旧結城郡石下町)にあった城、豊田(とよだ)城です。
決して、愛知県豊田(とよた)市の城ではありません。豊田市にあったのは挙母(ころも)城ですね。
今回はこれまでで最もネタ的な要素が強いお城ともいえるかもしれません。
ちなみに、常総(じょうそう)市は2006年(平成18年)に石下(いしげ)町が水海道(みつかいどう)市に編入される形で合併してできた市です。
豊田城跡は石下駅から徒歩30分少々のところにある小貝川の堤防周辺ですが、模擬天守は徒歩10分くらいのところにあります。
石下駅。
関東鉄道の常総線が乗り入れています。
朝夕のラッシュ時以外は駅員がいないため、切符や運賃は運賃箱へ、ICカードは運転手に見せてから下車して駅の簡易改札機にタッチします。
2層の櫓・・・ではなさそうですw
シャッターがついてますので、倉庫か何かでしょうか。
こちらも模擬櫓(?)。
今度は土塀までついていますw
豊田城は、正平年間(1346~1370年)に桓武平氏一族の豊田善基が小貝川沿いに築いたといわれています。
模擬天守(常総市地域交流センター)。
5層7階の巨大な天守ですが、史実ではもちろん豊田城に天守などなく、1992年(平成4年)に建てられた(築かれた?)、多目的ホール・図書室・歴史資料展示室を備えた複合施設です。
詳しくは↓↓
http://www.city.joso.lg.jp/joso/www/00491.html
http://www.city.joso.lg.jp/joso/www/00457.html
周囲は平たんな田畑が広がっていて、かなり遠くからでも見つけることができます。
これほどの高さ(天守台+天守48.5m)の天守閣なんて、姫路城(同約46m)クラスになってしまいますよww
ここまでくると逆に感心してしまいます。
7階展望室からの眺め。
のどかな風景が広がっています。
戦国時代には、小田氏と姻戚関係を結び、下妻城主の多賀谷氏の侵攻に対抗しました。
常総市役所石下庁舎。
水海道市と石下町の合併に伴って、2009年(平成21年)に建てられた庁舎です。
どうせなら、御殿風の庁舎を建てたらよかったのでは、と思ったのですが・・・。
またもや2層の櫓のような建物。
1575年(天正2年)に豊田治親が多賀谷氏と内通した家臣に毒殺されて豊田氏は滅亡すると、豊田城も多賀谷氏の城となりました。
温故知新の文字の両側に、石下の歴史が刻まれています。
温故知新は大事ですよね。
その結果があの巨大な模擬天守なのでしょうか?
3層の櫓・・・?
いったいいくつあるのかとw
1601年(慶長4年)に徳川家康によって多賀谷氏が改易されると、伊奈氏が治める天領に組み込まれ、豊田城は廃城となりました。
小貝川堤防上の豊田城址の碑。
実際の豊田城址は、川の工事により消滅してしまっています。
堤防下の鉄塔の横にも豊田城址の碑があります。
ある意味、非常に楽しめるお城訪問になることは、間違いないでしょうw
では、この辺で。
御城学。