甲府城(甲斐国・山梨県甲府市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

2週連続山梨県シリーズ後半・甲府城です。
甲府城も躑躅ヶ崎館と同様、日本100名城の1つ(25番)に選ばれています。

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甲府城跡は現在、舞鶴城公園として整備されていて、JR甲府駅南口から徒歩3~5分ほどのところにあります。といいますか、JR中央本線が城跡を分断しています。

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甲府駅。
JR東日本の中央本線と、JR東海の身延(みのぶ)線が乗り入れています。
中央本線の特急スーパーあずさ、あずさ、かいじなどが停車するため、片道約1時間半で新宿まで行くことができます。

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内松陰門(復元)。
1999年(平成11年)に絵図などを元に復元されました。
今回は、ここから公園内に入りました。

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鉄門(復元)。
2012年(平成24年)に復元工事が完了し、2013年(平成25年)の1月から公開されました。
木の色やにおいなど、まだまだ新しい感じがします。

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銅門跡。
礎石だけ残っています。
そのうちこちらも復元してくれないかなーと思いますね。

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本丸櫓跡。

武田氏滅亡後の1583年(天正11年)、徳川家康が甲斐支配の拠点とするため家臣の平岩親吉に命じて築城を計画しましたが、1590年(天正18年)、家康は城の完成を見ることなく江戸に転封することになります。

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天守台。
かつてはかなり巨大な天守が建っていたのではないかと推定されています。

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天守台からの景色。
中央に見えるオベリスク(?)は明治天皇が山梨県にあった皇室の山林を下賜されたことを記念して1922年(大正11年)に建造された記念塔です。

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庄城稲荷跡。
現在は別な場所(後述)にあります。

その後に入城した羽柴秀勝や加藤光泰が工事を引き継ぎ、浅野長政・幸長親子の時に完成しました。

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舞鶴城公園入口の遊亀橋。
ここが本来の入り口のようです。

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庄城稲荷。
甲斐源氏の祖・一条忠頼が館を築いて守護神として祀った社です。
後にここに甲府城が築城され、庄城稲荷の一部が稲荷曲輪と命名されたそうです。
現在、庄城稲荷は遊亀橋の近くに移転しています。

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鍛冶曲輪門(復元)。
1996年(平成8年)に復元されたものです。
いったんここから公園の外に出ました。

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グルっと回って、甲府駅寄りのこちらの入り口から入りなおします。

関ヶ原の戦い後は、家康の九男・義直や秀忠の三男・忠長など徳川一門が城主となり、1705年(宝永2年)に柳沢吉保が親藩以外で初めて城主とると、城の大改修がおこなわれ、城下町も大きく発展しました。

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稲荷曲輪内の井戸。

1724年(享保9年)に柳沢吉保の子・吉里が大和郡山へ転封となると、甲府城は幕府直轄領となり、甲府勤番が置かれました。

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煙硝蔵跡。
簡単に言うと火薬庫です。

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2重の石垣。
弱い地盤のため、松丸太を組んだ胴木を用いて石垣を積んだことからも、とにかく石垣が崩れないようにと2重に積みなおす必要があったのではないでしょうか。

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稲荷曲輪門(復元)。
こちらも1999年(平成11年)に復元されたものです。

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稲荷櫓(復元)。
江戸時代には武具蔵として用いられていたと考えられています。
絵図や古写真などを元に、2004年(平成16年)に復元されました。

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JR甲府駅北口。
先週も載せた写真をもう一度ww
今度はこちらから徒歩2~3分の歴史公園に向かいます。

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山手渡櫓門(復元)。

幕末になると、勤番は廃止となり城代が置かれますが、明治維新後に廃城となりました。

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山手門(復元)。
山手渡櫓門とこちらの門を合わせて、山手御門と呼ぶそうです。
山手御門は絵図を元に2007年(平成19年)に復元されました。

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鐘楼(復元)。
江戸時代には、鐘楼の鐘を撞いて甲府城下に時間を知らせていました。
2013年(平成25年)に鐘楼を模したといわれるものを模して再建されました。


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甲府市といえばヴァンフォーレ甲府(?)ということで、山梨中銀スタジアム。
JR甲府駅からシャトルバスで約30分の小瀬スポーツ公園内にある陸上競技場です。


少し話がそれましたが、甲府城について、甲府市のページのリンクを↓↓に貼って終わります。
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/welcome/rekishi/kofujyou.html
では、この辺で。


御城学。