今回は、愛知県知立市にあった知立(ちりゅう)城をご紹介します。
![chiryu1](https://stat.ameba.jp/user_images/20130516/10/castle-manabu/2b/21/j/o0800060012540622772.jpg?caw=800)
知立城のあったところは、現在は西町児童公園として整備されていて、知立駅北口から徒歩10分程度で行くことができます。
![chiryu2](https://stat.ameba.jp/user_images/20130516/10/castle-manabu/9d/90/j/o0800060012540622760.jpg?caw=800)
知立駅。
名古屋鉄道(名鉄)の名古屋本線と三河線が乗り入れています。
乗換え駅だけあって、利用者は多いです。
![chiryu3](https://stat.ameba.jp/user_images/20130516/10/castle-manabu/a2/d7/j/o0800060012540622761.jpg?caw=800)
知立古城址の碑。
知立城は知立神社の神官でこの地の豪族・永見氏が築いた居館が始まりとされています。
平安末期ごろから朝廷配下の武士として頭角を現し、永見貞春は1156年(保元元年)の保元の乱、1159年(平治元年)の平治の乱にも後白河天皇(のち法皇)について出陣しています。
![chiryu4](https://stat.ameba.jp/user_images/20130516/10/castle-manabu/a5/1e/j/o0800060012540622763.jpg?caw=800)
御殿跡の碑。
ここに織田信長や将軍家のために建てられた御殿(後述)があったということですね。
1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いでは、永見氏は今川義元についたため織田信長に攻められて落城します。
![chiryu6](https://stat.ameba.jp/user_images/20130516/10/castle-manabu/c1/a1/j/o0800060012540623550.jpg?caw=800)
今ではごくごく普通の児童公園です。
その後、天正年間には刈谷城主・水野忠重によって、織田信長を饗応するための御殿が建てられ、寛永年間には将軍上洛時の休憩・宿泊施設として増築されて用いられていましたが、1699年(元禄12年)の地震で倒壊、以後再建されることはありませんでした。
![chiryu5](https://stat.ameba.jp/user_images/20130516/10/castle-manabu/98/6d/j/o0800060012540622764.jpg?caw=800)
明治天皇御小休所阯の碑。
ここで明治天皇が休憩されたようですね。
![chiryu7](https://stat.ameba.jp/user_images/20130516/10/castle-manabu/00/a9/j/o0800060012540623551.jpg?caw=800)
明治天皇駐蹕址の碑。
明治天皇が休憩されたことを、もう一度アピールしていますw
とても短いですが、この辺でw
御城学。