知立城(三河国・愛知県知立市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

最近めっきり涼しくなって、体調を崩されたりしていませんでしょうか。
今回は、愛知県知立市にあった知立(ちりゅう)城をご紹介します。

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知立城のあったところは、現在は西町児童公園として整備されていて、知立駅北口から徒歩10分程度で行くことができます。

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知立駅。
名古屋鉄道(名鉄)の名古屋本線と三河線が乗り入れています。
乗換え駅だけあって、利用者は多いです。

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知立古城址の碑。

知立城は知立神社の神官でこの地の豪族・永見氏が築いた居館が始まりとされています。
平安末期ごろから朝廷配下の武士として頭角を現し、永見貞春は1156年(保元元年)の保元の乱、1159年(平治元年)の平治の乱にも後白河天皇(のち法皇)について出陣しています。

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御殿跡の碑。
ここに織田信長や将軍家のために建てられた御殿(後述)があったということですね。

1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いでは、永見氏は今川義元についたため織田信長に攻められて落城します。

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今ではごくごく普通の児童公園です。

その後、天正年間には刈谷城主・水野忠重によって、織田信長を饗応するための御殿が建てられ、寛永年間には将軍上洛時の休憩・宿泊施設として増築されて用いられていましたが、1699年(元禄12年)の地震で倒壊、以後再建されることはありませんでした。

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明治天皇御小休所阯の碑。
ここで明治天皇が休憩されたようですね。

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明治天皇駐蹕址の碑。
明治天皇が休憩されたことを、もう一度アピールしていますw

とても短いですが、この辺でw


御城学。