岸和田城(和泉国・大阪府岸和田市) | おしろまなぶ の お城を学ぼう

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訪問したお城について書いていきます。

今回は、だんじり祭りで有名な大阪府岸和田市にある、岸和田城です。

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岸和田城へは、南海電鉄岸和田駅か南海電鉄蛸地蔵駅から10分程度歩いたところにあります。
蛸地蔵駅よりも岸和田駅のほうが停車する電車が多いので、岸和田駅から歩いていくのがおススメです。

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岸和田駅。
南海電鉄の南海本線が乗り入れていて、特急「ラピートα」を除く全ての電車が停車します。

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多門櫓。
1969年(昭和44年)に再建されたものです。通路の両脇の木がとても美しいです。

和泉国の守護・楠木正成の命によって、和田氏が1334年(建武元年)に現在より少し離れた場所に築いた岸和田古城が始まりとされています。
当時「岸」と呼ばれていた地に「和田」氏が城を築いたため「岸+和田=岸和田」と・・・。
足し算のような感じで地名が変化したんですねww

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甑用大釜。
かつてはこれを用いて酒造がおこなわれていたそうです。

岸和田城は豊臣秀吉が紀州征伐をするにあたっての拠点となり、岸和田合戦の舞台となりました。

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復興天守。
「泉州岸和田城図」では天守は5層で描かれていますが、1954年(昭和29年)に建てられたこの復興天守は3層となっています。
岸和田城については↓↓
http://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/36/kishiwadajyo.html
http://www.rekishiwadanjiri.com/

1585年(天正13年)に豊臣秀吉の伯父・小出秀政が城主となると5層の天守が築かれました。
この5層の天守は1827年(文政10年)に落雷により倒壊してしまい、以後再建されることはありませんでした。

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岸和田城から見た景色。

小出氏は秀政・吉政・吉英と3代続き、吉英が1619年(元和5年)に但馬国出石へ転封となると、代わって松平康重が丹波国篠山から入封しました。

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八陣の庭。
1953年(昭和28年)に当時の庭園設計の第一人者・重森三玲によって、諸葛孔明の兵法の八陣をテーマに設計された庭園で、翌年再建された天守からの眺めを意識して造られています。

松平康重の子・康映が播磨国山崎へ転封となると岡部宣勝が摂津国高槻より入封し、以後岡部氏が13代にわたって城主となり、5万3千石の岸和田藩を治めました。

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隅櫓。
1969年(昭和44年)に多門櫓とともに再建されました。

松平康重の子・康映が1631年(寛永17年)に播磨国山崎へ転封となると岡部宣勝が摂津国高槻より入封し、廃城となった伏見城から櫓を移築するなどの大改修をおこないました。
紀州和歌山の御三家・徳川頼宣に異心があると疑われたため、その監視の意味で岡部宣勝が岸和田に入封したと伝えられています。

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二の丸多門櫓・・・という名のトイレww
ここの石垣には犬走り石垣が見えますが、敵が攻めやすくなるため軍事的には欠点となります。
上部の石垣を補強するために作られたようです。

以後13代に渡って岡部氏が岸和田藩主としてこの地を治め、幕末を迎えます。

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二の丸跡に建つ御殿風の建物。武道場だそうです。

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城の近くには、岸和田だんじり会館があります。
岸和田だんじり祭についての展示がされています。
岸和田だんじり祭りは、1703年(元禄16年)に岸和田藩主の岡部長泰が岸和田城内の三の丸に京都伏見稲荷を勧請し、五穀豊穣を祈願しておこなった稲荷祭が始まりとされています。
岸和田だんじり会館については↓↓
http://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/36/danjiri-kaikan.html

それでは、この辺で。


御城学。