御城学(おしろまなぶ)のお城を学ぼう

御城学(おしろまなぶ)のお城を学ぼう

訪問したお城について書いていきます。

パソコン版の題字は、ミスサークルコンテスト2023に参加されている芳賀乙舞さんに書いていただきました。

2014年5月11日(日)
フジテレビ系「ウチくる!?」戸田恵子さん:恵比寿の回にて、岩槻城の空堀の写真を使っていただきました。

2015年11月
「篠山を巡るブロガー旅行記」のコース②【国史跡の二つの城をめぐるコース】に参加させていただきたいました。

2018年12月出版
三和書籍「メロディに咲いた花たち」萩のページにて、証城寺の狸囃子童謡碑の写真を使っていただきました。

当ブログの記事は、以下の参考文献を参照させていただいております。
ここに感謝の気持ちを込めて掲載させていただきます。
・ビジュアル・ワイド日本の城 小学館
・山川MOOK日本の城 山川出版社
・城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 辰巳出版
・ウィキペディア
・現地のパンフレット、観光案内版、チラシ、案内HPなど
※現地の案内板については、各記事のトップに写真を掲載するようにしています。
今回は、現在の東京都町田市にあった城、元木山城です。



元木山城跡は現在、鶴川香山園(かごやまえん)として整備されていて、鶴川駅北口から徒歩5分くらいで行くことができます。


鶴川駅北口。
小田急電鉄の小田原線(東京メトロ千代田線直通含む)が乗り入れています。
Jリーグの町田ゼルビアのホームスタジアム、町田GIONスタジアムへのシャトルバスが発着する駅の1つです。
鶴川駅は東京都多摩地区南部に位置する町田市の、東の玄関口としての役割を担っています。

町田市は人口約43万人を有する市で、東京都区部を除く東京都内の市では八王子市に次ぐ人口を誇っています。
神奈川県側に突出する形で接していて、町田市を通る鉄道もJR横浜線、小田急小田原線、京王相模原線だったり、運行しているバス会社も神奈川中央交通だったりして、「神奈川県町田市」と揶揄(?)されることもあるくらい、神奈川県と密接な関係を築いています。


土塁跡。
神蔵氏によって築かれた土塁とみられる盛り土が見られます。


鶴川香山園の入口。
2015年(平成27年)までは香山園として一般公開されてきましたが、その後は町田市が譲り受けてリニューアル工事を実施、2025年(令和7年)に鶴川香山園として開園しました。
公式HPは↓↓
https://www.tsurukawa-kagoyamaen.com/


鶴川香山園の入口を入ってすぐのところ。
あれ?ここ・・・石碑ありませんでしたっけ??
武州元木山柵大笠館跡の石碑と神ノ倉龍蔵之碑があったと思ったんですが・・・。
リニューアル工事の際に撤去されたのでしょうか???


瑞香殿。
1906年(明治39年)に建てられたもので、現在はレストラン桜梅桃李(おうばいとうり)として活用されています。
桜梅桃李については↓↓
https://www.obaitouri-gc.com/


日本庭園。
池泉回遊式庭園とパンフレットに書いてあるのですが、池泉回遊式を私は知りません(汗)
江戸時代に造られたといわれる苑池を埋めて、1954(昭和29年)~1963年(昭和38年)に造り替えたものだそうです。

元木山城は、1525年(大永5年)に越後国から移ってきた神蔵盛清が、小田原北条氏の北条氏綱から許しを得て築いたといわれています。


明らかに近年設置されたと考えられる階段があります。
登ってみましょう。

1544年(天文13年)には城内に瑞香殿館を建立します。


能ヶ谷香山古墳群。
古墳時代の円墳2基と横穴墓20基が確認されています。
円墳は6世紀末~7世紀前半、横穴墓は7世紀前半~8世紀初頭に造営されたとみられています。


自然にあふれています。

江戸時代になると瑞香殿館は幕府により破却されますが、1693年(元禄6年)に建て替えられます。


鶴川香山園の裏手に階段があります。


階段途中にある祠。

現在の瑞香殿は1906年(明治39年)に建て替えられたもので、当時の柱や棟札、大戸が残されています。


竹林が続いています。


駐車場と子孫の方の墓地とみられるスペースがあります。

城跡としての遺構はほぼ見られませんでしたし、リニューアル工事によって石碑が撤去されてしまったようで、かなり残念でした。

では。


御城学(おしろまなぶ)。