わたしが小学生の頃、小学校の階段の下に小さなドアがありました。
そのドアはいつもカギが閉まっていて、少女ヒロヤユウコはいつも想像したものでした。
そのトビラのムコウには秘密の不思議な世界が広がっていて、いつかそこにわたしは迷い込んで大冒険を繰り広げるのだと。
ある日そのトビラが開いているのをたまたまわたしは見ました。
そこには秘密の世界なんてなくて、ただガス菅が何本か通っているだけでした。
少女ヒロヤユウコはとてもがっかりしました。
でも、思いました。
次のトビラにはきっと不思議な世界が待っているに違いないわ!
わたしはそのトビラのムコウを夢見ることをやめませんでした。
やめなかったのではないのです、やめれなかったのです。
わたしという人間はいつもそんな風に生きていきました。
この間の打ち上げでも冗談で「ヒロヤユウコの人生は未練でできている」なんて言ってたけどそれはあながちウソでもなくて、わたしはどんな現実を見ても中学生までサンタクロースを心の底から信じるような、夢見がちなおめでたい人でした。
たぶん今もわたしはなにかに期待しているのだと思います。
なにがあっても信じるなどといえば聞こえがいいのかもしれませんが、わたしはそういうバカなのです。
「絶望」などという言葉を使ったけど、わたしの絶望はわたしが期待する故に起こるもので、素直に現実を受け入れることさえできればこんなにも苦しみなど味あわなくともすむはずなのに、まだ、まだ、まだ、わたしはどこかで期待しているのだと思います。
だからわたしは絶望しているのです。
自分が望むほどに世界はきっとわたしに望んでいないのでしょう。
すべてはわたしのひとりよがりで、みんなわたしをどこかであざけっているのではないのかと思うほどです。
つまり、わたしはあざけって欲しくない。
わたしは誰かに認めて欲しいのだと、自分で認めれないから、いつもいつもそんな弱さで生きてきたのでしょう。
もう誰もわたしにかまわないで欲しい。
つまり、わたしは愛してほしいのだと、情けないくらいに叫んでいるのでしょう。
逃げないということはすべてを受け入れることだと、そしてすべてを受け入れることは苦しいということをわかっていたけど、そしてそれは自分自身との戦いだということをわかっているのだけど、どこかで救いを求めてしまっているのです。
だからもう一度、ここで言いたいです。
逃げないです、すべてを受け入れます。
トビラのムコウには何もないけど、トビラのムコウを想像していた自分は幸せだったよ、と胸を張っていえる日が来るまで、みっともなく這いつくばって生きていきます。
みんなごめんね。
ありがとう。